(後編)コラム 2023.02


「未来に残すもの」(後編)

渡邊智惠子さん


聞き手|塚口 紗希

取材・文章|村山 恵一




 前号では社会起業家の渡邊智惠子さんを訪ね、未来に残すものをテーマにお話をうかがいました。後編となる今号では、30年以上にわたって道なき道を突き進んでこられた渡邊さんの取り組みに迫ります。



オーガニックコットンとの出会い


 ライフル・スコープなどを扱う光学機器の貿易会社「タスコ・ジャパン」に新卒で入社した渡邊さんは、33歳のときに同社の新設子会社「株式会社アバンティ」の社長に就任。5年後には同社と資本関係を解消し、アバンティは新たなスタートを切ることになります。渡邊さんが社会起業家としての一歩を踏み出したのは、この頃から。オーガニックコットンとの出会いが、その後のビジネスと人生に大きな影響を与えます。


 オーガニックコットンとは3年以上、農薬や化学肥料を使わない畑で栽培された綿のことです。しかし、その割合は世界における綿花生産量の1%未満。世界に流通する99%のコットンに、化学薬剤を用いて育てられた綿花が用いられています。その量は地球全体で用いられている化学薬剤の約16%にも上るそうです。結果、綿花生産の現場では環境汚染が深刻化。さらに渡邊さんがオーガニックコットンに出会った頃には、児童労働を始め多くの問題が潜んでいました。


 オーガニックコットンが広まれば、環境汚染をはじめとする社会課題を解決することができます。しかし、いくら社会に良い事業であったとしても、それだけは長続きはしません。渡邊さんがオーガニックコットン事業に挑むことに決めたのは、後に仕入れ先となるアメリカ・テキサス州のファーマーにこの仕事をやる理由を尋ねたことがきっかけでした。ファーマーから返ってきたのは、「儲かる」からという言葉。このビジネスには、「健康な大地を神に返す」という理念だけではなく、そろばんがある。渡邊さんが今も大切にする四方良し(作り手・売り手・買い手・社会)のビジネスであったことが、大きな決め手となりました。


 その後も、東日本大震災の被災地を支援するオーガニックコットン事業を展開するなど、社会起業家としてさまざまな社会課題の解決に挑み続けてこられた渡邊さん。国内企業の大半が30年以内に衰退する中、ソーシャルビジネスの草分けでもあるアバンティは今も成長を続けています。一方で、渡邊さんは2021年9月27日をもって退社。100年企業を目指して、次の世代へとバトンを受け継がれました。



鹿撃ちの経験が紡いだ新たな挑戦


2016年に「一般財団法人森から海へ」を設立。新たなフィールドでの挑戦を始められた渡邊さん。同財団の目的は、ニホンジカの増加によって荒れる日本の森を守ることで、自然のサイクルを健全にすること。財団の活動によって得た利益は、森を守る人の育成に役立てられます。獣害は、サントアンのある三田市周辺でも深刻です。各地で農作物が食い荒らされ、大きな損失を生んでいます。鹿が増え続けることで困るのは農家だけでありません。生態系の崩壊は森の死に繋がり、土砂災害をはじめ多くの問題を引き起こします。森の再生にかかる時間は50年。一度、死んでしまうと大きな時間と努力を要するため、そうならないように啓蒙することも財団の役割であると渡邊さんは語ります。尊い自然を未来に残すという点についてはオーガニックコットン事業とも共通しますが、渡邊さんが獣害に着目されたのはなぜなのでしょうか。



 「鹿との最初の接点は、タスコ・ジャパンに勤めていた頃。ライフル・スコープの世界的メーカーでもある米・タスコ社の新製品発表会で本国を訪れたときのことです。私はそこでライフルを持って鹿を撃ちました。さらに撃った鹿の腹を開き、ゴム手袋をした手で臓物を取り出すところまで経験。自分の体重の何倍もあるような生き物を撃って殺したのはそのときがはじめてで、泣きながら作業をしたのを覚えています。また、そのときのことを、環境保護活動家のC.W.ニコルさんにお話ししたことがあります。彼はその話にすごく喜んでくれて、私にこう告げました。『日本人にもっと鹿肉を食べてもらいたい。こんなに素晴らしい肉はないんだから』と。以来、鹿のことや森のことを意識するようになり、いつかはちゃんと取り組まないといけないという想いを持つようになりました。私があのとき鹿を撃ったのは、仕事でたまたま新製品の発表会へ行ったから。意図しない出来事でしたが、それが巡り巡って今に生きている。すべては神様によって仕組まれているのだと思います」。


 ハンターによって捕獲される鹿の数は約70万頭/年(令和3年)に上ります。しかし、鹿肉として活用されているのは、全体のわずか10%程度。残りの90%はそのまま処分されるか、焼却処分されています。財団では、「鹿のいのちを無駄にしたくない」という想いから、鹿肉のペットフード事業を発足。それは、鹿撃ちを経験がある渡邊さんだからこそ立ち上げることができた事業であるとも言えます。



人生に無駄なものはない


 渡邊さんは財団の活動に加え、2021年に「一般社団法人サーキュラーコットンファクトリー(以下CCF)」を設立。繊維ゴミの再資源化という新たなソーシャルビジネスに挑んでおられます。同事業も「森から海へ」同様に、これまでの経験から紡がれたもの。「どれだけ頑張れてもあと20年」と語る渡邊さんが70歳にして挑む新規事業とは、どんなものなのでしょうか。


 「オーガニックコットンが占める割合は、コットン市場の1%にも至りません。つまり、アバンティの活動が本当の意味で実を結ぶのは、まだずいぶん先になります。残された時間には限りがある。その中で今やるべきことを考えたときに繊維ゴミの問題にたどり着いたんです。オーガニックコットン事業を通じてずっと関わり続けてきた繊維業界では、年間約137万トンもの繊維がゴミとして焼却されます。それだけ多くのCO2を排出し、地球温暖化を加速させているということです。繊維のゴミは、世界のゴミの14%を占めます。この膨大なゴミを焼却するのではなく、紙として再生してはどうだろう。日本における繊維のリサイクル率はわずか17%。一方、古紙のリサイクルについては、日本は世界でもトップクラス。利用率は66%、回収率は81%に上ります。つまり、繊維から繊維へリサイクルするよりも、紙にして、資源ゴミとして回収したものをまた紙にする方がずっと地球環境に貢献できるということ。こんなにステキなことはないと思いました」。


 2022年1月にはフランスで衣服廃棄禁止令が施行されるなど、繊維ゴミの削減は世界的なテーマにもなりつつあります。繊維のゴミを、リサイクル率の高い紙にする。大きな可能性を秘めたその事業を、渡邊さんはどのようにして広めていこうとされているのでしょうか。


 「繊維を集めて作った白い紙が本当に美しかったんです。膨よかで、柔らかくて、温かくて。当初は普通の紙に置き換わるものとして考えていたのですが、それではこの魅力を生かし切ることができません。そこで閃いたのが祭事でした。お祭り等で目にする紙垂(しで)には白い紙が使われ、それらは毎年新しく作り替えられます。祭事をはじめとする神事に紙は欠かせない。ここに、私たちの紙を使えないだろうか。そう考えて、大凧祭りを見にいったんです。するとわかったのが、この祭りは子どもの誕生を祝うものだということ。町内会のみんなで子どもの命を育む文化に、私は感動しました。みんなで集めたものを紙にして、みんなでお祭りをする。これこそが私たちが目指すべき本当のサスティナブルなんじゃないかと思ったんです。繊維のゴミでできた白い紙には、色も塗れるし、いかようにも加工することができます。それはオーガニックコットンも同じ。オーガニックコットン事業から退き、新たな道を歩み出しましたが、結局はすべてが繋がっていて、今までの経験が120%活かされているんですよね。鹿撃ちのこともそうですが、私の人生の中で何一つ無駄なものがない。人生の終盤に差し掛かった今、そこに気付けてすごく幸せだと感じます。たぶん、私だけじゃなくて、誰もがそうなのだと思いますよ」。



サントアンが未来に残すもの


 あらゆる経験を資源に、サスティナブルな人生を歩まれる渡邊さん。偉大な先輩の足跡を辿り、紗希社長は何を思うのか。最後にサントアンの未来についてうかがいました。


 「渡邊さんの役割が0から1をつくることであれば、私の役割は1を10にすることだと思います。先代が築いたサントアンと、先人たちが築いてきた洋菓子業界。すでにできあがっている土台を活かして、自分、そして自分たちの世代がそれをどう発展させていくか。受け継がれてきたものを自分たちなりに解釈して表現することで社会に還元していかなければならないと考えています。価値観が多様化する時代において、これからも社会に必要とされるもの。それは“ほんまもん”であると私は考えます。

例えば、クリスマスケーキのオーナメントは、一般的には外注品です。それをサントアンでは昨年から自分たちで手作りするようにしたんです。手作りだと均一なものは作れないし、大量にも作れません。でも、ほんまもんってそういうところにあると思うんです。もちろん、既製品が悪いわけではありません。細かいところにまでこだわることで、自分たちらしさがでてくるんじゃないかと思うんです。着色料や保存料などといった添加物を入れないのも、ほんまもんにこだわるからこそ。接客にしても、効率を追求するのではなく、お客様一人ひとりとしっかり会話をしながらご案内することにこだわっています。私たちがやりたいのは新しいことではなく、原点回帰。本来あるべき菓子作り、お店作りの在り方に戻ることが、先人たちから受け継いできたものに対する自分たちの表現だと思っています」。

 

【渡邊 智恵子   Chieko Watanabe】

1985年株式会社アバンティを設立。 日本でのオーガニックコットンの製品製造のパイオニア。 企業活動以外にNPO日本オーガニックコットン協会を設立。  2016年、一般財団法人森から海へ、代表理事就任。2020年から繊維のゴミを資源にするプロジェクトを立ち上げ、繊維から紙へ、繊維から繊維へというサーキュラーコットンプロジェクトの普及のために精力的に活動する。


 

【塚口 紗希 Saki Tsukaguchi】

有限会社サントアン代表取締役 。

1985年兵庫県生まれ。2006年サントアン入社後、2008年より長野県大町の姉妹店・美麻珈琲の店長として店舗を切り盛りする。2020年より代表取締役社長として、これまでとこれからのサントアンを繋いでいくために精力的に活動している。