(前編)コラム 2023.01


「未来に残すもの」(前編)
渡邊智惠子さん


聞き手|塚口 紗希

取材・文章|村山 恵一




 2023年1月23日で創業35周年を迎えるサントアン。2020年12月に塚口紗希が社長に就任して2年が経とうとしています。先行きが不透明で将来の予測が難しいVUCA時代に、サントアンはどう歩み、次の世代へとバトンを受け継いでいくべきなのか。紗希社長にとって最も身近で尊敬する女性経営者の一人である社会起業家・渡邊智惠子さんを訪ね、お話をうかがいました。


社会起業家の草分け的存在


 オーガニックコットンを日本に初めて持ち込み、以来30年以上にわたって社会課題に挑み続ける渡邊さん。国連によりSDGSが提唱され、持続可能な社会に向けた取り組みが当たり前になりつつある昨今ではありますが、渡邊さんが社会課題に向き合い始めたのはずっと前のこと。35年前に誕生したサントアンと同じ時代を生き、長きにわたって道なき道を切り拓いてこられた日本を代表する女性リーダーの足跡を辿ります。



自分の信じた道を突き進む


 学生時代から経営者を目指していたという渡邊さん。大学卒業後は、当時社員数わずか5名だったタスコ・ジャパンというアメリカに親会社を持つ光学機器の貿易会社に就職します。「どうしてもこの会社で働きたい!」。直感に動かされるかたちで、内定していた大手3社を蹴って同社に入社した渡邊さんは、経理担当として社会人の第一歩を踏み出します。世の中の価値観や体裁などにとらわれることなく、自分の信じた道を突き進む。原点でもあるこのスタンスが、後に社会起業家・渡邊智惠子に繋がっていきます。



「四方良し」の嘘がないビジネス


 転機が訪れたのは33歳のとき。タスコ・ジャパンが子会社を設立することになり、その社長を任されることになります。それが後にオーガニックコットン事業を手掛ける株式会社アバンティです。社長に就任した1995年は、男女雇用機会均等法が制定された年でもあります。しかし、当時はまだ女性経営者は珍しかったと言います。



 「設立当初は、タスコ・ジャパンの広告宣伝物の制作を主に手掛けていました。親会社から自動的に仕事が流れてくるから、経営ずっと黒字。黙っていても利益が出るので、ものすごく楽でした。ただ、このままお金をお金とも思わないような生活を続けていると、人間がダメになると思ったんです」。


 楽な道から抜けだし、敢えて茨の道を進むことを決めた渡邊さんは、タスコ・ジャパンと資本関係を解消。アバンティは新たなスタートを切ることになります。


 「そのタイミングでオーガニックコットンをアメリカから輸入することになります。当初は依頼を受けて扱っていた輸入商材のひとつに過ぎません。正直、扱い始めた頃は、嘘がないビジネスだからやっていけるなと思ったくらい。それがまさかこんなに長く扱うことになるとは思いもしませんでした」。


 オーガニックコットンとは3年以上、農薬や化学肥料を使わない畑で栽培された綿のことです。アバンティの仕入れ先であるアメリカ・テキサス州のファーマーでは徹底した土壌管理が行われており、畑に蒔く綿花も遺伝子組み換えをしていないものに限定されています。つまり、オーガニックコットンを世に広めることは、健康な大地を広めることでもあるのです。ちなみに世界の綿花生産量のうち、それが占める割合は約1%に過ぎません。渡邊さんがこのオーガニックコットンを日本に初めて持ち込んだのは1990年のこと。以降、地球環境の保全をし、四方良し(作り手・売り手・買い手・社会)を実践するこのオーガニックコットン事業に渡邊さんはのめり込んでいくことになります。



お金で愛情は買えなくても

お金に愛情を託すことはできる


 現在ではオーガニックコットンの輸入から、糸・生地・製品の開発・製造、製品の小売・卸に至るまで一貫して手掛けるアバンティ。同社のオーガニックコットン事業は1993年にローンチされ、大阪の日本綿業会館や東京のラフォーレ原宿で盛大なオープニングセレモニーを行うなど、華々しいスタートを切ります。大手アパレルメーカーもこの取り組みに賛同。滑り出しは順調でしたが、1995年1月17日に阪神淡路大震災が発生します。地球環境よりも、まずは震災からの復興が優先される状況になり、賛同メーカーも次々に撤退。大きな危機に直面する中で、渡邊さんはそれをどのような思いで乗り越えられたのでしょうか。



 「このままでは社員が路頭に迷うことになります。何としてでもオーガニックコットンを売ろう。あのときはそういう思いで、行商に出かけるなど、こだわりなく行動しました。売上がないときは経費を極限まで削減。最終的には自身の給料も削り、姉のところに3年も居候させてもらいました。どんなことがあろうと絶対に黒字を目指すのが経営者です。黒字でなければ、銀行もお金を貸してくれません。そういう意味でお金は大切であり、利益はしっかりと取るようにしています。“愛情をお金で買うことはできないけれど、お金に愛情を託すことはできる〞。これは、誠実な銀行マンだった義父の言葉です。私はこの言葉を大切にしており、お金を儲けて愛ある使い方をすることを自分の中のルールにしています」。



信ずれば成り、憂えばくずれる


 2009年には、経済産業省「日本を代表するソーシャルビジネス55選」を受賞。2010年にはNHK「プロフェッショナル〜仕事の流儀〜」で取り上げられるなど、渡邊さんの活動は大きな注目を集めます。それは、オーガニックコットンに出会って20年以上が経過してからのこと。阪神大震災に始まり、そこに至るまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。幾多の壁にぶつかりながらも、前へ前へと進み続けた渡邊さん。諦める、逃げるという選択肢もある中で、そうしなかった理由はどこにあるのでしょうか。


 「“信ずれば成り、憂えばくずれる〞という言葉があります。信ずれば成るんだから、信じればいいんです。私はずっと、失敗なんてありえないでしょって思っています。富や名声のためではなく、世の中をよくするためにやってるのに、失敗するわけがない。神様はちゃんと見てくれていると思うんです。失敗したらどうしようって、憂うから失敗するんです。失敗なんてないんだから。そもそも、途中でやめるから失敗なんです。細く長くでもいいから、ずっとやり続ける。途中でやめなければ失敗ではありません」。



繋いでいくことで

有限は無限になる


 やめなければ失敗ではない。しかし、人間に与えられた命や時間には限りがあります。続けたくても、どこかでやめなければならないというリミットがある中で、渡邊さんは自身が手掛ける事業の今後についてどのような考えをお持ちなのでしょうか。


 「有限を無限にするには、繋いでいかなければなりません。そのためにはどういう人が自分の意志を持って繋いでいってくれるかっていうのを選んでいかないと、そこで終わってしまいます。私はアバンティを100年企業にしていきたい。そのためにはどうすればいいのか。私にできることは獣道をつくること。そこから先の高速道路をつくるのはあなたで、飛行機の滑走路をつくるのはあなたといった具合に役割を繋いでいくことが大事だと思っています。ただ、今は昔の職人さんのように“これしかやるんじゃないよ〞って、一方的に役割を与える時代ではありません。まずはいろんなことをやってもらって、その中で各々にいちばん合っているものは何か、各自の性質をいちばんいかせるものは何かを見極めていくのがいいのかなと思っています。もちろん、その過程で自分には合わないことをやってもらうこともあります。でも、そのすべてが肥やしとなり、経験が無駄になることはありませんから」。



女性ならではのもったいない精神


 2021年9月27日をもって渡邊さんは株式会社アバンティ・代表取締役会長を退任。100年企業に向けたバトンを、次の世代へと引き継がれました。しかし、渡邊さんの挑戦は、これで終わったわけではありません。2016年には駆除された鹿の肉の活用などに取り組む「一般財団法人森から海へ」を、2021年には繊維ゴミの再資源化に挑む「一般社団法人サーキュラーコットンファクトリー」を設立。社会課題の解決に向けた新たな挑戦を始めておられます。



 「どれだけ頑張れてもあと20年。その中でお金と人のネットワークを使い切ることをテーマにしています。自分の周りにはステキな人たちがたくさんいて、それを独り占めしておくのがもったいなくて。塚口家も、そう。道なき道をずっと進み続けて、あれだけのお店にされたわけじゃないですか。そういう人たちが横に繋がっていけば、もっと住みやすい世の中になっていくかもしれないし、もう少し命を大事にしてもらえるんじゃないかなって思うんです。そういう女性ならではのもったいない精神みたいなのが、次への原動力になっているのかもしれません」



 「渡邊さんの役割が0から1をつくることであれば、私の役割は1を10にすることだと思います」と語る紗希社長。先代が築いたサントアンと、先人たちが築いてきた洋菓子業界。すでに土台ができあがっている中で、それをどう発展させていくのか。次号・後編では渡邊さんの取り組みと、その生き様から得た教訓を胸に紗希社長が目指すサントサンの未来について語ります。

 

【渡邊 智恵子   Chieko Watanabe】

1985年株式会社アバンティを設立。 日本でのオーガニックコットンの製品製造のパイオニア。 企業活動以外にNPO日本オーガニックコットン協会を設立。  2016年、一般財団法人森から海へ、代表理事就任。2020年から繊維のゴミを資源にするプロジェクトを立ち上げ、繊維から紙へ、繊維から繊維へというサーキュラーコットンプロジェクトの普及のために精力的に活動する。


 

【塚口 紗希 Saki Tsukaguchi】

有限会社サントアン代表取締役 。

1985年兵庫県生まれ。2006年サントアン入社後、2008年より長野県大町の姉妹店・美麻珈琲の店長として店舗を切り盛りする。2020年より代表取締役社長として、これまでとこれからのサントアンを繋いでいくために精力的に活動している。