特性が集まったこのサントアン。それぞれの感性で働くことを互いに認められたら、きっ もう出発する時間。わかっているのに、排水溝の汚れが気になって掃除を始めてしまう。賑やかな場所では話が頭に入ってこないから電話に出られず、そのまま折り返しを忘れてしまう。
ここのところ、ポンコツが加速している。約束の時間に遅れたり、電話を折り返さないなんて、人としてありえない。やらないといけないのは、わかっている。それなのに、できない。
「あの人は、ちゃんとできてるのに。どうして私は」
子どものころから自分の事を頭が悪くて努力が足りない、どうしようもない人間だと思っていた。だから、人よりうんと努力をしないといけないし、自分のことを素晴らしいなんて思えたことは一度もなかった。
ひとりぼっちにならないように、ダメなやつだと思われないように。10-30代は社会性を身につけるのに必死だった。自分以外の見えない基準で生きていた。用事を忘れないようあちこちにメモをして、空気の読めないやつだと思われないように言葉と自分を押さえ込んだ。
いわゆる“普通”を装うのに、とんでもないエネルギーを費やして、それっぽく見えるように、ギリギリのところで踏ん張ってきた。
ところがこの1年ぐらい、その踏ん張りがいよいよ効かなくなってきた。というよりは、もう踏ん張らなくてもいいと思えるようになった。
それは、自分と深く向き合う時間を持つことになったのがきっかけだ。サントアンをよくするにはどうしたらいいのか。そう思って参加した数々のワークショップや研修の中で、会社を変える前に、自分自身が変わる必要があると知ったのだ。思いがけず与えられた、自分を俯瞰して見つめる時間が、無自覚に装っている自分というものに気づかせてくれた。
外に出掛けたことで、ロールモデルにも出会った。
「あれ?ちょっと待って。そういうやり方でもいいの?」
私と同じような特性をもっているのに、自信に溢れ、いきいきと働き、周囲からも信頼されている人たち。良いも悪いもすべてを活かして、桁外れの力と光を発揮しているではないか。
「なーんだ!そういうことね!」
好きなことへの過集中。空気や違和感を敏感に察知する力。なぜ?が止まらない。それらは欠点ではなく、他の人にはない素晴らしい特性だったのか。どうやら頭が悪いからそうなっているのではないらしい。それこそが、私が私である理由なんだ。都合の悪い自分を痛めつけるのは、もうこれ以上やめにしよう。ポンコツを素直に受け入れて、やってはいけないと自分に禁止していたことを片っ端からやってみることにした。
遅刻する、電話に出ない、飲食業なのにネイルをする。
するとどうだろう。
あんなにも恐れていたことは、ひとつも起こらなかった。むしろ、話しやすくなった、おもしろい、感性が豊かだ。と言ってもらえるではないか。本当かな?だけど、隅に追いやっていた自分に少しの居場所ができたような気持ちにもなった。
自分のままで生きようと思えば思うほど、ポンコツが加速していく。開き直るわけじゃないんだけど、頭の中で勝手に作り上げた“普通”を装って生きることが急に滑稽なやり方に見えてきた。
良いも悪いも丸っと差し出して、誰かと誰かで得意を持ち寄って助け合う暮らしや仕事をしたい。私が誰よりも強く願っている未来かもしれない。たくさんのと桁違いの力が発揮される。
そんな日が、そう遠くない気がしている。

