「私とシュークリーム」――熱を持ったふたり――
アッツいんですよ。
火も、鍋も、そして私も。
入社二年目の頃、私はカスタードクリームを炊く仕事を任された。卵、牛乳、小麦粉を合わせ、大きな鍋で一気に高温まで火を入れる。一日に炊く量は十二〜十五キロ。鍋から立ち上る湯気が顔にまとわりつく。身長が百五十センチもない私にとって、その鍋は身体よりも大きく感じられ、ゴムベラを回し続ける腕はすぐに重くなった。それでも、美味しいものを作りたい。その思いだけで、私は火の前に立ち続けていた。
この仕事で一番難しかったのは、カスタードクリームの炊き上げの見極めだった。ある日、「今だ」と思って火を止めた。艶もあり、手応えも悪くない。ところが味見をすると、口の中に粉っぽさが残った。火が足りない。その瞬間、身体の奥から力が抜けた。ほんの一瞬の判断で、味が決まってしまう。その怖さを、私は何度も思い知らされた。
失敗は一度では終わらなかった。少し早い、少し遅い。その「少し」が分からない。混ぜる速さを変え、温度計を確認し、鍋の底にゴムベラが当たる感触に神経を集中させる。クリームが重くなり、動きが変わり、音が変わる。その変化を必死に追いかけた。高温でクリームが熱くなってくると、不思議と私の気持ちも熱くなる。負けたくない。材料と呼吸を合わせるように、私は鍋と向き合い続けた。
何ヶ月か経った頃、いつもと同じように火にかけ、混ぜていたはずなのに、ふと手が止まった。理由ははっきり説明できない。ただ「今だ」と思った。火を止め、恐る恐る味を見る。舌触りはよく、なめらかで、喉ごしがよく、つるんっと飲み込める。卵と牛乳の甘さがきれいに広がった。初めて、火を止めた理由を自分の中で納得できた瞬間だった。アッツアッツの鍋と、汗だくの私。熱を持ったふたりで、美味しいカスタードクリームが完成した。
シュー生地の焼成もまた、見極めの連続だ。オーブンの中で、生地はきれいなドーム状から徐々にふわっと膨らんでいく。その姿は可愛らしく、つい見入ってしまう。しかし、愛情をかけすぎると失敗する。温度が高すぎれば膨らみすぎて割れ、低ければ十分に立ち上がらない。オーブンの前から離れず、色、膨らみ、表面の張りを見て、取り出す一瞬を逃さない。その判断もまた、カスタードと同じ「見極め」だった。
材料には、その日ごとのコンディションがある。卵の状態も、粉の湿り気も、毎日同じではない。だからこそ丁寧に扱い、変化に気づき、良い状態を見極めていく。その積み重ねが、たった一つのシュークリームの味を決めるのだと思う。
今日も火はアッツい。
それでも私は負けない。
熱さの中で培ったこの感覚を信じて、シュークリームと向き合い続けていく。

