ぷー太郎を育む35年 ~そしてその先へ~ 文章:信川浩子
「サントアンで働いて35年」。そういうと大抵の人は驚く。私もここまで続くとは思っていなかった。
高校で進路を決める時「進学も就職もしない、演劇がしたいから」と言って、親や先生を驚かせた。勉強も好きじゃないし、事務職でお茶を出す毎日もまっぴらだった。その頃はフリーター、ニート、という言葉はなく、”ぷー太郎”と言われた。それでも平気だった。
なぜ、ここまで続いているのか。それはサントアンが人間力を高め、成長できる場所だから。しかし、私がそう感じるようになるまでには少し時間がかかった。
アルバイトに選んだ、サントアンでの接客の仕事は初めてで、ケーキの値段は覚えられないし、リボンもきれいに結べない、ギフト包装にも時間がかかった。人見知りもあって、はじめは接客の仕事が楽しいとは思えなかった。そんな私を、当時のオーナーである肇さん、マダムの裕子さん、先輩スタッフは温かく、時には厳しく教えて下さった。
アルバイトをはじめて数年たったある日、お客様からうれしいお言葉をいただく。「田辺さん(旧姓)の笑顔がとてもよかった、また来ます」と、お客様アンケートに書いてくださったのだ。とてもうれしく、自分の接客に少し自信が持てた瞬間だった。
そして、それを自分の事のように喜んでくれたサントアンの皆がいた。それは私にとって、驚きであり、戸惑いでもあった。その頃の私は、人の成果を喜べるような人間ではなかったし、人との付き合いも広く浅く、深入りしない、そんな人間だった。そんな私が、皆が喜んでくれたことを素直に受け入れ、サントアンで人の温かさを感じた。
また、演劇とアルバイトを両立する中で忘れられないできごとがある。
所属する劇団で公演をする時、集客やパンフレットに載せる広告スポンサーを、自分たちで集めていた。知り合いにあちこち頼むも全敗。私は意を決して、肇さんにお願いに行く。サントアンは広告を出さない「そんなお金があったら、いい材料を買ってお菓子にする」という、肇さんの想いを知っていた。だからダメもと、最後の砦だった。
「私のおすすめのお店として広告を出させてほしい、広告代は私が出すので!」
緊張と必死の思いでそんな話をしたと思う。すると、肇さんは「ちゃんと用意しとったんや」と、財布から4万円を出してくださった。迷いのないその行動に、私はありがたい気持ちと同時に、申し訳ない気持ちがあふれだし号泣した。
私はその時、なんとかサントアンに恩返しできるよう、頑張ろうと心に決めた。私にできることは、笑顔で、お客様のご要望に応え、喜んでもらうこと。お客様の喜びが、自分の喜びとなり、その経験の積み重ねがよりよい接客を生み出し、お店の評判になるはずだ、と信じて今がある。
入社して5、6年の月日を経て、私はようやく、一人一人のお客様との会話、接客を楽しめるようになっていた。
その後、私は演劇とサントアンに没頭しながら、結婚、出産、子育て、介護、出会いと別れ、“人生のフルコース”をサントアンの皆と共に過ごしてきた。ぷー太郎のアルバイトから正社員、そして店長へ。今は、店長も次の方へ引き継いでいる。
サントアンはお客様やスタッフ、業者の方、ご近所の皆さんと関わり、自分を磨く場所。そして私自身もまだまだ人間力を磨き、これからもサントアンと共に50年、100年を目指していく。
信川浩子(Hiroko Nobukawa)
サントアン / ジェネラルマネージャー 1969年生まれ、1989年入社。サントアンの哲学をそのまま体現し、メンバーやお客様に「これぞサントアン」と感じさせる存在。信川さんの心地の良い接客を受けたお客様は、みんな笑顔になって帰っていく。


