つくるひと 2023.12


垣根のない愛を知っているひと

清水 友子さん(サントアン URAKATA

取材・文章 西 尚美



 清水友子さんはコーヒーの香りに惹かれてサントアンと出会った。長く事務職を続けていたが、韓国への語学留学をきっかけに道が変わった。辛い韓国料理。食後、無性にコーヒーが飲みたくなる。「コーヒーの香りを嗅ぐと安らぐ。何でこんなに気分がよくなるんだろう」。帰国後、事務職を再開する予定が、どうしてもコーヒーの香りのもとで働きたくなった。思い立ったら真っ直ぐな人。それから2年勤めたカフェではサイフォンでコーヒーも淹れられるように。充実していて「少し頑張ってみよう」そう思っていた矢先、父が実家を継ぐこととなり、三田へ。事務職へ戻るべきかよぎりつつも、コーヒーのあるところ、とサントアンを訪ねた。「雰囲気に一目惚れしてしまって」すぐに面接を受け、働き始めて14年。販売スタッフを12年務め、ここ2年は自ら申し出て、新しい業務に挑戦している。


 思い込んだら前しか見えず、後先考えずに突っ込んでしまう。韓国留学も、コーヒーの香りからの就職も、そして、新しい業務の取り組みも。猪突猛進、「猪だから」と清水さんは言う。でも、清水さんを動かす感覚は、猪という激しさとどこか相反する。コーヒーの香りだったり、なんだかどうしてもそうなってしまって、という、説明しきれない、淡い感覚。

 確かにそこにあるのに、あるといいきれないような、柔らかいものを感じとる人。そんな印象を持った。


 販売からの転身。新しい業務”URAKATA“も、そんな感性ゆえに生まれて、それゆえに成り立つ仕事かもしれない。URAKATAとは「本当に何でも屋さんです」。以前まで、販売スタッフは接客の合間に多くの作業をしていた。ギフトの梱包、補充、発送業務、発注業務。お客さんには綺麗なところだけを見て欲しい。でも、作業しようと持ってきた梱包材が、忙しくて手付かずのままカウンターに置きっぱなしになることも。「ここにあっただけ、風景汚していたなぁ」、濁る気持ち。ギフトが足りない、ゴミが落ちてる、花瓶に水が入っていない、目につくところは沢山。が、お客さんを差し置いては動けない。気が逸れたまま接客しては、それも伝わる気がした。何しろ、淡い感覚を蔑ろにしない人である。


 そういう作業を任せられて、痒いところに手が届くロボットがいたら。ずっと感じていた思いは、じわじわと自分がそれをできたらという思いに変わった。誰でもできる仕事を社員が後ろに引いてするなんて、一蹴されるかも。「でも、絶対やりたい」申し出た思いを、社長も、店長の信川さんも受けとめた。清水さんが、自分の特性を理解した上で、サントアンでできること見つけ、申し出てくれた。活躍の場を自ら決める段階へ、勇気を持って飛び出してくれた。ふたりにはそう見えた。

「信川さんから、うらかたってどんなロゴ?って聞かれて、アルファベットで全部大文字ですって言ったら、〝HIKAKINみたいなやつ!おもろいね!"って」新しい制服は?何が必要?清水さんはバックヤードに作業台をひとつもらった。


 「販売も好きだけじゃできない仕事だと思う。何の心配もなく、のびのびと接客したいだろうなって思うから、雑務は後ろに放り投げて私に任せてくれたら、あとはもう、自分でやりたいようにやってくれたらいいなって」。その時々必要なところに、さっと手を伸ばす仕事。力になりたいと思いながら、販売スタッフの仕事を奪ってはいないか、そんなジレンマもある。手応えはまだない。でも、仲間の協力を感じながら「とりあえず、ちょっとやらせて」。

今はその思いで。


 小さな「気になる」を拾い上げる。淡いものも感じとる、清水さんのセンサーは、人に向けても働く。年下、年上、肩書きや経験に関係なく、本質を見逃さない。「多少、仕事が遅かろうが、言葉足らずだろうが、あぁ、この人すごい人間性持ってるって人がいる。そんな姿を見たら、わぁ、もうすごい眩しいもの見ちゃった。素晴らしいなって」。隠れてしまいがちなひたむきさも、清水さんには届く。仲間の眩しい部分を見てしまうと、目も心も奪われるという。

 「清水さんは、愛のある人。人のことを一元的でなく全体で見てる。年上とか年下とか、仕事ができるできないではなく、誰に対してもある種の尊敬がある。その人の成長のためとか愛とかを根底に持っているから、褒められたり叱られたりも、清水さんに言われたら納得してしまう」社長はそう、清水さんについて語った。


 「愛がある」、清水さん本人には意外に感じられたらしい。けれど、話題が幼い頃に触れた時、愛について不意に蘇ってきた記憶があった。「愛が溢れている人に、育ててもらったなぁって」。一生懸命働いて、自分と弟を育ててくれる両親の背中をずっと見てきた。どんなに忙しくても昼休みには仕事を抜けて、お乳をあげに来てくれた母。母の力になりたい。そんな気持ちが自然に芽生えて、母の姿を真似て、踏み台を使って台所に立ち洗い物をした記憶。そして、ずっと子守りをしてくれていた、近所に暮らす老夫婦の記憶。「小学校が終わったら、そのおじいちゃんとおばあちゃんのお家に帰るんですよ。おやつを食べさせてもらって、晩御飯を食べさせてもらって、父か母が迎えに来てくれて帰るっていうのを、毎日」。血の繋がりはない。でも、繋がりは濃かった。

 次第に他の家庭からも子どもが集まり、いつも小さな子が周りにいるように。その子たちを連れ、遊びに行ったり、本を読んであげたり。面倒を見ているというよりも、一緒に過ごすことが楽しかった。「笑い上戸」とあだ名がつくくらい、よく笑う子ども時代だった。

 子どもたちの輪の中で最年長だった清水さんに、おばあさんはよく「お買い物行くからついてくる?」と尋ねた。みんなのおやつや食材を買いにカートを押しておばあさんとふたり。帰り道には重たくなったカートを清水さんが引いて歩いた。おばあちゃんの力になりたい。そんな思いが働いて。「愛をもらっていましたね」。家族と、慕ってくれる小さな人たちと、血縁の垣根を越えた優しさと。


 傍を楽にしたいと、自然と手を伸ばす人。試行錯誤しながら、今は2年目のURAKATAを。