つくるひと 2024.01


つくる人 繋げてきた人

松田淳一さん(サントアンOB 初代チーフパティシエ)

取材・文章 西 尚美



 松田さんは、サントアンの創業メンバー。今から35年前、創業者の塚口肇さん、妻である裕子さん、そして松田さんの3人からサントアンは始まった。修行時代から共に働いてきた肇さんと松田さん。開業してからはパティシエ2人で作れる量以上のケーキを、毎日作った。次第に従業員も増え、お店も成長。作ることだけでなく、管理面の仕事も担いながら、「平成元年に店が始まって、平成30年。最後の年まで」。定年を迎えるまでの30年間、松田さんは屋台骨として働き続けた。

 現役スタッフへのインタビューの際、松田さんのお名前が毎回のように挙がる。ある人の中では、レシピ作りに迷った時の相談役として。ある人の中では、職場を離れるべきか悩んだ時に、話を聞いてくれた人として。「サントアンの歴史ですもんね」こんな風に言った人も。調理場を離れてもなお、の存在感。サントアンの大切なひと。

 松田淳一さんのお話。


 そもそも、松田さんがケーキの道に入ったのは?「高校3年間、アルバイトをしていたんです。週4日、うどん屋さんへ。その頃から粉に触れていたんです」。

 うどん屋の社長は様々な料理経験者。中華も和食も教えてくれた。でも松田さん、ちょっと違うことがしてみたい。たまたま歩いていた地下街でケーキ屋さんが目に留まった。「これがええな。あ、これしよ。ただそれだけです」。不埒でしょ、と笑う。

 粉から生まれるものが、うどんからケーキに。うどん屋の社長が紹介してくれたケーキ店へ「じゃあ行きます」素直に飛び込んだ18歳。その店で先輩として働いていたのが、肇さんだった。

 

 寮では互いに三畳一間の部屋で隣同士。「朝7時から働いて夜中の1、2時までが普通。だから12月になったら仕事終わりお風呂屋さん閉まってて、3週間くらい風呂入れないですよ。当時はね。でも、面白かった」。働く仲間、誰もが個性的。肇さんはケーキを釜に入れて手が空く焼き時間、よく本を読んでいた。誰も彼も、自分の学びを深め、お金を貯めては、自分で店をやろうと動く。活気があった。


 肇さんがサントアンを開くこととなり、松田さんも10年勤めた店を辞め、オープン前は縁の深かかった甲陽園にあるツマガリさんへ修行に。「この3ヶ月で3年分教えるから頑張れって言われて」。ツマガリさんでは後にも働く機会があり、学んだことがある。お菓子の配合変更の指示がよく出た。「変えるっていうのは気持ちだけなんです。10kgの生地に20gコンスターチを増やす、とか。味はそんな変わらないです。でも変えようという気持ちが、お菓子に伝わる」。美味しくしてやろう、と気にかけ続ける。その気持ちはお菓子に伝わる。それがわかった。


さて、35年前。オープン当日、他店から沢山の応援も来てくれての開店間際。肇さんの姿がない。大きな責任と怖さが襲ってきて、車に閉じこもっていた。そんな場面があった。その時、松田さんはどう思ったんですか、と聞くと、松田さんは真っ直ぐ答えた。

「肇さんは、めちゃくちゃ繊細なところあるやん。ものすごい真面目。少年のような心がある。だからすごく、ピュアな状態だったんだと思う。」

 困った、とは言わない。重圧を感じ堪えていた姿を、時を経ても笑い話に変えない。

「肇さんと紗希ちゃん(現社長)、共通するのは物事の基本的なところが純粋なところ。なんでそんなに純粋に考えられんのって、グレーな僕には少ししんどい時期もあった。でも、僕も年をとってきたらやっぱり純粋っていうのは何物にも勝るものなんやというのはわかりました。それは肇さんもあるし、紗希ちゃんも持ってる。だからオーガニックはどうだって言えるんですよね。自分から農業しようかって言える」。インタビューに同席していた社長のことは、お腹の中にいる頃から見てきた松田さん。自身のインタビューの合間にも、社長に伝えられるものを伝えようと姿勢をふと傾ける瞬間があった。澄んだものを、澄んだまま受け取る、それは松田さんの力。且つ、自分の手元にあるものを惜しみなく手渡そうとする在り方。他のスタッフから、どうして幾度となく「松田さん」と名前が挙がるのか。垣間見えた気がした。


 開業から数年は、とにかく無心で仕事をした。朝から晩まで仕事のことだけ。週に1度の定休日もカスタードを炊きに来た。「今思ったら、幸せやったなと思う。自分が納得できるように好きなことを好きなだけやって」。それが、5年10年経ちお店も大きくなると、あちこちに問題も見え始める。40歳で外部研修を受けた際、「異業種の人から見たら自分達のやってきたことはなんだったんだと。パソコンもできない、FAXしかできない、メールもできない、そんな中にポツンとおったんですよね。お菓子を作るしかわからない。自分の至らなさをひしひしと考える」。

 松田さんは自前でパソコンを購入。パソコン教室へ通った。手書きだった帳簿をパソコンで打ち込む。人件費の管理も始めた。今まで勘できたことを数字で見ると、製造に人が増やせるとわかり調理場の充実も測れた。反面、販売員に出勤を抑えてもらう必要が出て交渉するなど、辛い面も負った。

 作り手から管理職も担っていった背景は「基本はやっぱりいいお菓子を作っていきたい。そのためには色んなこともせないかんってわかってくる」。働いている人達には楽しく仕事をしてほしい。「人が沢山いたらもっと作れるのにとか、こんなに労働しなくていいのにとかありますよね。もっと外に勉強しに出て行けたり。できたらそんなことをして内容の濃い会社にしたいから管理する人間が必要やし、僕がやるっていうのが1番いいだろうな」。


 現場を取りまとめる立場になると、今度は問われ続ける毎日。現場で必要なものが出てくる。社長に伝える。それは何のためにいるのか、いくらかかるのか、どれだけ必要なのか。「肇さんはいろんなこと教えてくれるし、ずっと質問される。肇さんを説得させるのが僕の勉強やったんです」。調べ物も交渉も苦手だった。それでも、他のお菓子屋さんへ行って教えてもらったり、業者さんと値段交渉をしたり。「緊張してしまってすごく負担だったんですけど、だんだん慣れてくると楽しくなってくる」。

 ご意見をもらったお客さんにも会いに行った。夜の9時でも10時でも。いいお菓子を作りたい。そのために、自分の枠を何度も越えて課題に取り組み続けた。

 そんな松田さんから、現在働くスタッフへ。

「やっぱり僕はどっちかだったら、夢とか自分のやりたいことを持ってる方が楽しいと思う。乗り越えられるから。これがあれば結構いけるなっていうのがあったりするんですよね」。ぐっと拳を握る。松田さんが離さなかった、やりたいこと。「やりたいことはやった方がいい。そのために、デメリットは絶対ある。それを乗り越えないと人間的成長とか、幅は増えないですよね。まずやりたいことがあって、それをやってみたらこんなこともある、こんなこともあるって気づいたら、どうせなあかんか。それを解決した時はやっぱり自分の力になったり、人間の幅としては大きくなりますよ。それをやらなかったら、その時は楽だけど、どんどん仕事が楽しくなくなると私は思うんです。だから、何をどうせえってわけじゃないけど、やっぱりやりたいことはやってみた方が。遠慮しないでいいと思うし、遠慮を考えすぎてもあかん。やりたいことと会社の方向が合致していること、貢献できることを探す。気がつく。自分で勉強しにいく。見にいく」。


 生地の配合に何度も触れ続けるように、松田さんの心は今も、何かを捏ねるようにして、大切なものに触れ続けている。そう見える。インタビューの日も、この素材は自社で作れるようにした方がいい、とさっと社長に伝えたり、コンテストに向け練習を重ねるスタッフに声をかけたり。現場を離れてもなお、サントアンのことを気にかけ、考えている。松田さんのこの気持ち。36年目からのお店にもきっと伝わっていく。