つくるひと 2023.08


朱山貴也さん「時代の流れに追われない豊かさを見据えて」


朱山さんが目の前に座ると、空気が鎮まり、すっと澄んだ感じがした。

「こうしてほしい、ああしてほしいっていう思いよりも、あ、この子はこうしたいんだな、こういうことをやってみたくてこうしているんだなとか、今、何を考えてるんだろうっていうのを損得なしに考えられる存在は自分にとって子供だなと思っていて、それが愛だと思っているんですけど」

お話を伺う中で、朱山さんが愛について明言された場面が印象に残った。愛とは何か、自分の言葉を持つ人は多くないと思う。内省の深い方。お話はこう続く。「それがなんで大人相手に、例えば自分の家族じゃない相手に向けては難しいんだろうって考えるきっかけになって」。我が子の誕生から、他者との関わり方も変化していったという。


朱山貴也さんがサントアンのパティシエとなり丸8年。

子どもの頃、母親が日常的にケーキを作ってくれた。自然と一緒に作るようになり、気づけば将来の夢はケーキ屋さん。ずっと製菓の道しか頭になかった。大阪の製菓学校卒業後、メディアでの露出も多い有名シェフが名古屋に出した新店に就職した。ただでさえ体力勝負のパティシエの仕事。流行の先端を求められる店での修行時代は相当過酷だっただろう。気づけば心身が疲弊していた。


「入院して、退院する時に会社も辞めて、実家に戻ってきました」。宝塚の実家に戻り、別のケーキ屋で働こうとしたものの、現場に立つと辛かった記憶が蘇り続けることができなかった。「もう自分はお菓子屋さんで働けないかもしれない。今までこの道しかないと思ってやってきたから、何ができるだろう」

作ることしかできない、と近所でアルバイト募集をしていたパン屋さんへ。迷惑をかけてはいけないと思い、当時の自分の状況を全部話すと、パン屋のシェフは全部受け入れてくれた。「じゃあ最初、配達だけやろうか」そう言って、1日1時間の配達の仕事をくれた。シェフとの出会いは大きく、朱山さんにとって再生の機会となった。


目指してきた道で挫折し、以前の職場の人達に感じる憤りや、できなかった自分を責める思いをすぐに拭うことはできなかった。けれど、パン屋のシェフはそのままの朱山さんを受け入れ、ひとつ出来たら次へ、と働く時間を伸ばし、無理のない働き方を考え続けてくれた。

「シェフが常に言っていたのは、僕は常に爽やかでありたいって。業者さんに対する対応でも横柄な態度をとるのじゃなく、爽やかに。そう常に言ってらっしゃるのを聞いて、自分もなんとなくこう、爽やかでいようって。思い返してみると、一緒に働く仲間に対して自分も横柄な態度を取っていたな、親切ではなかったなって」

苦しんだ過去を振り返り、自分を受け入れていくきっかけをもらった。


1年ほど働き「将来やっぱりケーキ屋さんに戻りたい」そうシェフに伝えたところ「じゃあ就職先を探してあげようかな」と言って紹介してくれたのがサントアンだった。「シェフが紹介してくださるところだったら大丈夫」。サントアンで再び、パティシエの道に戻った。


「サントアンに入ってきた頃、古いルセット(レシピ)を見た方がいいとよく言われて、その時は何とも思わなかったんですけど、やっぱりずっと残ってるお菓子とか、古くからあるものって基本配合が必ずあって、そのものづくりがあって初めて発展ができる。もの作りにおいて、あくまで基本からの派生でしかなくて、それをどう組み合わせるかで新しいっぽいお菓子ができてるっていう風に思えてきて、そうなったらやっぱり、よりシンプルなもの、古いものの勉強をと」働きながら、自分自身が目指すもの、表現したいものを見出していった。

「料理家の土井善晴さんが好きで、あの方は、なんでもいい、料理は自由度がある、思いのままにって言うんですけど、でも時々、自由だからってなんでもいいわけじゃないって言う。やっぱり料理も基礎がある。基本的な割合があって、そこを踏まえてるから料理は自由なんだって。お菓子作りも一緒じゃないかと」


「就職したら一緒に暮らそう」そう話していた名古屋時代から支えてくれた恋人と、サントアンへの就職をきっかけに結婚。冒頭で語られていたお子さんも授かり、4歳になる。今、朱山さんは独立を見据えて動き出している。


「時間の流れが、今、とても速くて。私の思う生活の豊かさとは、時間に追われない、時代の流れに追われないようなこと。古いレシピにも繋がるんですけど、古いものってそれ以上古くなりようがない。それでずっと残ってるものって、みんなに受け入れられていて生活の一部になってる。そういうものづくりの中で暮らしていきたい。時代を追いかけるところとは違う生活をしてみたいなと思って。そこが私の思う豊かさ、生活の豊かさだなって思っているので、そこを体現してみたい」


インタビューを終えて帰る前、朱山さんが厨房から出てきてケーキを持たせてくれた。

帰宅して開いてみると、それはガトーブルトン。フランス北西部の伝統菓子だった。サクッとした歯触りが美味しくて、中からじわっとバターの旨味。洋酒の香りがふわりとぬけていく。伝統的なお菓子でありながら、美味しさには新しさも古さもない。そしてシンプルなレシピだからこそ、素材の質や作り手の技術が美味しさの決め手となる。なぜこの生産者さんの素材を使うのか、どこまでの焼き加減で、どう作るのか。「もの作りをする上で自分が大事に思ってることっていうのを、やっぱりその、表現したい」そう語られていた朱山さん。作ったそのケーキに、自分がいると伝えてくれた気がした。とびきり美味しかった。