つくるひと 2023.06


狩野貴美子さん
風が通る方へ「地球環境を考えてケーキを作っているひと」


「風が吹いた」という表現を、狩野さんは何度も口にされた。理にかなっていて、すべてが調和し生きるとき。思いがけない巡り合わせに運ばれたとき。風が入る感じがする。無理に道をつくるのとは違う。風を受けて、風を感じて生きる、そんな在り方がある。


狩野貴美子さんはサントアンで働き始めて4年目を迎えるパティシエ。大学時代、これ!と決めて学び始めた心理学がしっくりこず、留学を選択することに。英語はどれだけやっても馴染まない。それなら、フランス語科の単位が取れるかもと留学先はフランスに自然と決まった。留学するなら手に職をつけようと、渡仏し語学を学んだ後、現地で製菓を学んだ。そこでパートナーと出会い、お子さんにも恵まれて10年ほどフランスで暮らした。


「フランスでは日本の常識と全然違って、でもそれがすごい気持ちがよかったんです。日本でやりすぎと思っていた部分も、あ、こんなに簡単でよかったんや。やりすぎやったんや。もうちょっと野蛮でいいんじゃない、というか。野蛮…ソバージュ」

ソバージュには、野蛮、野生、という意味がある。過度になることなく、自然のままに。自然のまま…そう、狩野さんの口からは、人への思いと同じように動植物への思いも並ぶ。フランスで生活するうち、日本では報じられない環境問題についても触れ、意識的になった。

「今、できることとして自分で野菜を作って消費したり、電気もできるだけ無駄使いしないようにしたり、これから長く生きる子どもたちにも色々伝えたり…本当に負担をかけないように暮らしたいです。同じ地球に人間だけが幅を利かせて好き勝手やっていいわけないってずっと思う。賢いんだから、いいように共存できる星になったらいいな」


家族で日本に帰国し、縁あって勤め始めたサントアン。サントアンもまた、安全な原材料を選択したり持続可能な社会のために様々な取り組みを実施している。そんな改革の現場に立ちながら「新しい風がすごくします。例えば水を大切にする、使えるところは使う、リサイクルする…家ではやっているのに、この仕事は家と職場は違うみたいな感じがある。でも、それをそうじゃないでしょう。環境への取り組みとして根本的にダメなものをダメでしょうと言えることが」


狩野さんが「無駄なく」「負担をかけないように」と話す時、身を削っていくような痛みは感じられない。むしろ、豊かさに触れていく感覚がある。その感覚は、ミニマルであると同時に自然界と調和し、宇宙まで思想が運ばれる茶の湯の世界と通じる感覚なのかもしれない。狩野さんは高校生の頃から、お茶の先生であるおばあさんのもとでお茶を習ってきた。


「お茶の作法はすごい合理的なんです。なんでここにあるのか、なんでこの手をこうするのか、足の運び方から座る位置まで全て決まっているんですけど、合理的で無駄がなく、理にかなっているのがすごいスッキリする。働きながらも、お茶だったらどうするかな?って、日常のことにも活かせます」


調理場に立つ時にも、もしもお茶なら?と、無駄なく理にかなったお茶の作法を重ねて活かしてきた。


風を感じる余白。釜からのぼる湯気、湯を汲む音、苔むす庭、野に咲くように生ける花、調和のもとでたてられるお茶。


「無駄やから全部省いたらいいっていうんじゃないんですよね。お茶はお迎えする芸術というか、自分のものではなく相手があってこそのお茶。どれだけ来てくれる人が気持ちよく過ごせるか、美味しくお茶を飲めるか、同じ空間にいい時間を持てるかっていうのを究極につき詰めた日本の伝統の美だと思う。お茶室に着くまでにも心を動かされる、それは多分私を迎えてくれるためのお花だったり、水が撒かれていたら新鮮さを感じるための演出だったり…それが大好きです。そういう心くばりというか。そういうふうになりたいなって思います」


自分の手元に無駄がなく、理にかなった在り方をする時、木々のそよぎが聞こえ、飛石を這う蟻、庭を舞う蝶という他の命も生き生きと見えてくる。そして、その心地よさを他者と分かち合うことができる。


「娘が学校で発表するために職業についてインタビューを受けたんですよ。それを見たら私のこと『地球の環境を考えてケーキを作ってる人』って書かれてて、おぉーっそういうふうに見てくれてたんやって」

資源を無駄使いしないようにと日常的に伝えていることは耳が痛いかもしれない。でも、伝え続けてきたことが繋がってる、伝わってる。そう感じられた。


「いろんなことに反するけど、やっぱり作ることは好き。お菓子を作って美味しいって言われることがやっぱり好き。すごい矛盾もあるけど、やっぱり作ることは好きで、作るからには納得いくものを作りたいから、パティシエとしての技術は向上させたいです。牛乳とか動物性のものは動物に負担がかかっているんじゃないか、そういう点はまだ納得できない。だからといってそれを全部排除したお菓子を作ればいいんじゃないか、ではないんですよね。どういうふうにバランスが取れるのか答えはまだ出ていないけど、無駄を省いたらそれだけ、せっかく作ってくれた牛乳やバターも生かせるので、そこはしっかりやっていきたい」


お菓子を作り喜んでもらうことと、原材料の背景にある動物、環境への負荷との矛盾に今も揺れながら。でも、揺れ続けているからこそ、より良い方へ。狩野さんは、地球の環境を考えて、ケーキを作っているひと。