大きなリング状のシュー生地にクリームをはさんだ、フランスの伝統的なスイーツ、パリブレストの歴史について今回は紹介します。
パリブレストと呼ばれるお菓子は、自転車の車輪の形を模したお菓子として知られ、フランスの首都パリとフランス西端の港湾都市ブレスト間で行われる自転車レース「パリ・ブレスト・パリ」を元に作られたと言われています。パリ・ブレスト・パリはパリからブレストへ、そしてまたブレストからパリまでの往復約1200 kmを走り抜ける過酷なサイクリングイベントで、1891年に最初に開催されました。現在でも継続されている最古の自転車イベントとして、4年おきに開催されています。開催当初はフランス人男性のみが参加するプロレースでしたが、歴史とともに変化し、現在は、性別や国籍を問わないサイクリストのための祭典となっています。
レース創立者のピエール・ジファール氏が、コース沿道であるパリ・ロングイユ大通りの菓子店メゾン・ラフィットの職人ルイ・デュラン氏に依頼をして、この特別なデザートが作られました。自転車の車輪の形状は過酷なレースへの敬意を表現し、中に挟んだプラリネのクリームで選手たちに体力をつけてもらう応援の意が込められていると言われています。
やがてパリブレストはレースの目的地である二つの都市以外でも作られるようになり、独特なスタイルと誕生の背後にあるストーリーから、フランスを代表するお菓子になりました。サントアンでも、その伝統と歴史の詰まったパリブレストを旬のいちごでアレンジをして、4月限定ケーキとして販売します。サクッとしたシュー生地とクリームの甘くて力強い風味をお楽しみください。
]]>三田に住んで38年ですが、当時私達が住んでいたマンションのテナントになんとサントアンさんがオープンされたんです。先に引っ越してしまいましたが...あとは三田で教師をしておりましたのでお店に行くと、教え子の何人かから声をかけてもらって嬉しかったですね。
]]>サントアンが創業した頃からのお客様です。
武恒様はご実家のある丹波市で無農薬野菜作りに毎週通われ、富美子様は絵画を描かれるなどアクティブに活動されているご夫婦です。
-サントアンとのエピソードはありますか?
三田に住んで38年ですが、当時私達が住んでいたマンションのテナントになんと
サントアンさんがオープンされたんです。先に引っ越してしまいましたが...
あとは三田で教師をしておりましたのでお店に行くと、教え子の何人かから声をかけてもらって嬉しかったですね。
-どのような時にサントアンを利用されていますか?
誰かに差し上げたい時や自分で食べたい時、息子の誕生日や母の日、父の日など、1年を通して何かあるとサントアンさんを利用しています。特に親戚にお菓子を送ってあげると喜んでもらって、親戚一同「三田のサントアン」と言って楽しみにしてましたよ。
-これからのサントアンへひと言
武恒様 ハレの日だけではなく、平常にいつでも来れるようなお店になっていって欲しいですね。お店の敷地にレモンやフェイジョア(果物として食用に栽培、庭木や正垣用としても評価が高い)の木を植えたらどうかな。フェイジョアの花はきれいですし、レモンの実がなったらお店に来た人の興味もそそられていいと思いますよ。レモンは香りがいいから。
富美子様 お菓子やケーキの味はもちろん安心で美味しいですし、見て目での感覚も得られますから、もっと日常に利用できればいいですよね。あと洋菓子に梅ってあんまりない気がするので組み合わせてみたらおもしろいと思いますよ!
お話を伺って [販売スタッフ|田中佐知子]
富美子様は添加物が入ってるもの食べると身体に違和感が出るため、なるべく使用してないものや少ないものを選んで購入されており、武恒様もついつい原材料をチェックして買い物をしているそうです。食生活にとても気を遣っておられ、お二人とも今現在薬を飲むことなく毎日お過ごしだと伺って、食の大切さに改めて気付かされました。これからもサントアンの無添加への取り組みをたくさんの方に知っていただき、安心安全なお菓子が買える「三田のサントアン」となりたいです。
]]>サントアンレターの2023年、7月号、11月号レポートで取り上げたYanYanFARMさん。神戸市二郎地区にあるいちご農家さんで、減農薬でいちごを栽培されています。昨年は2度農場へおじゃまして、苗を定植する作業を体験させてもらいました。いちごができる仕組みを見学したり、YanYanFARMさんがいちご作りで大切にされていることを学び、とても勉強になりました。
YanYanFARMさんのいちごは粒が大きく、ジューシーで香り高いのが特徴です。食べた瞬間に口いっぱいに香りが広がり、幸せな気持ちになります。このおいしいいちごをお客様にも届けたい。そんな思いでYanYanFARMさんと何度かおはなしをし、今年からいちごを仕入れさせてもらえることとなりました。その時のいちごの状態に合わせて素材を最大限活かし、私が初めて食べた時のあの感動を伝えることができれば嬉しいです。
今回はYanYanFARMさんのいちごを取り上げましたが、サントアンではおいしい食材を提供してくださる生産者さんがたくさんいます。お客様においしいケーキを届けるために、まずは自分たちが使っている材料のことを知る必要があります。まだまだ知らないことが多く、どのようにして、どんな思いで作られているかを実際に足を運んで学ぶことで、お客様に自信をもって提供できると改めて感じました。
フルーツは四季折々いろんな種類が生産されています。旬の期間は短いですが、その中で伝えられる魅力をたくさん伝えていきたいです。
YanYanFARMさん、今回はいちごをサントアンに提供してくださりありがとうございます。大切に使わせていただきます。
]]>ついこの間クリスマスが終わったところですが、次のクリスマスに向けて動き始めています。熱が冷めやらぬ1月12日に今年最初のクリスマス会議を行いました。メンバーは固定せず、クリスマスをよいものにしたい人なら誰でも参加できる会議です。
近年は、クリスマスをしないお菓子屋さんも増えてきました。普段通りの丁寧な仕事を大切にしている店、お客様と従業員の負担を減らす店、お店の数だけ信条があり方針があります。何を信じてどう生きるかをひとりひとりが選べる時代になりました。サントアンのクリスマス会議の中でも、そもそもクリスマスをやらないという選択もあるねんで。と伝えました。
クリスマスをやる/やらないも含めて、どうすればよいクリスマスを過ごせるだろうか。私たちはクリスマスケーキをとおして、お客様に何をお届けしたいのだろうか。去年の反省、お客様からいただいたご意見やスタッフの感想などを共有しながら、大まかな方針を決めていきます。
いつの頃からかクリスマスは特別なイベントとなって、家族や友人と一緒に過ごす食卓にクリスマスケーキが定着しました。そんな日にお召し上がりいただくケーキはやっぱり特別なものを準備したい。年に1度の大掛かりでハードなイベントだけど、スタッフ一人一人の持ち味が最大限活かされ、力を合わせるお祭りみたいなもの。とみんなが意欲に満ちていました。
どんなケーキを何種類、何台作ろうか?当日販売のカットケーキを作るか作らないか。予約のみにするか、予約がなくても当日買えるケーキも用意するか。スタッフの間で意見が分かれました。持っている情報、優先したいことや前提の条件がみんな違うからです。
迷った時は、いつも理念に立ち戻ります。サントアンの経営理念「よりよいお菓子で人と文化を育む」を一つ一つ分解していきます。よりよりお菓子ってどんなお菓子?人って誰のこと?文化ってなんの文化?育むって具体的にどういう行為のこと?そんな話をみっちり3時間話し合いました。
よりよいお菓子は、これまでよりもさらに品質のよいクリスマスケーキ
人は、お客様や従業員をはじめとするサントアンに関わる全ての人
文化は、今回の場合は、よいクリスマスを過ごすこと
育むは、大切にする、支える、積極的に関わること
会議に参加していたスタッフがつぶやきました。「これってクリスマスに限った話じゃなくて、いつも大切にしていることだよね」自分たちがいつも大切にしていることを前提にしたら、やることとやらないことがハッキリと見え始めました。
▪︎2025年クリスマスから完全ご予約制にします。
お客様の満足、スタッフの負担軽減、フードロスや計画的生産の観点から、2年かけて周知を進めてクリスマスケーキを完全ご予約制に移行していきます。
▪クリスマスケーキのラインナップを厳選します。
品質とお客様のご要望と作る人の負担を考慮した、中間のちょうどいい種類まで減らします。引き続き、クリスマス期間中(12/23~25)のカットケーキ販売をお休みします。
▪生産台数に上限を設けます。
スタッフも家族や友人とクリスマスを過ごせるように上限台数に達したら売り切れ御免にして夕飯の時間に間に合うように帰ります。
クリスマスの記憶が新しいうちに互いが思っていることを話し合い、同じ行き先を目指すための大切な時間になりました。お客様とサントアンに関わってくださる全ての人がよいクリスマスを過ごせるように、みんなの喜びが最大限に重なるところを模索し続けます。
]]>モンブラン絞り体験教室に参加いただき、世界に1つだけのモンブランを作られました。
○体験教室に参加したきっかけは?
大学生の娘がインスタグラムをみて、お母さんにピッタリなのがあるよ!とすすめてくれました。娘も行きたがってましたが、大学があり参加できず残念がっていました。
○参加されていかがでしたか?
洋栗と和栗の違いにびっくりしました!カスタードクリームとモンブランクリームの量のバランスなど、難しいことをかみくだいてわかりやすく教えてもらいました。
洋栗でデザートプレートを作った後、お茶とケーキで至福の時間を味わい、和栗で持ち帰り用モンブランを作り、娘にお土産もできました。絞るのが難しかったですがとても楽しかったです。
○サントアンとのエピソードはありますか?
やっぱりモンブランが好きで、誕生日にはモンブランを必ず頼んでいます。以前、グランドゥ・モンブラン(洋栗ペーストを使用した、大きなモンブランケーキ)の原材料が入荷せず、作ってもらえず残念な思いをしました。
旬のフルーツをいただくのが楽しみで、娘の誕生日にはメロンでタルトを作ってもらったことがあります。今年は出なかったけど、桃ちゃんも楽しみにしています。
○これからのサントアンに一言
ソフトクリームも毎月楽しみにしています。1人でこっそり来て、また家族と来るときもあります。これからも旬の味を楽しみにしています。
お話を伺って|河野景介
今回は体験教室に参加いただきありがとうございました。
体験教室の開催を通してモンブランや栗についてより知識を得て、私共も大変勉強になりました。和栗と洋栗の違いについて、実際にお召し上がりいただき、味や風味の違いに驚いてもらえたり、もっと栗が好きになってもらえたりしてとても良かったです。
サントアンでは季節の食材を大切にしてます、もっと沢山の方に旬の美味しさをこれからも伝えていきたいです。
]]>バレンタインデーと聞くと、チョコレートを贈るイベントのイメージが一般的です。2月14日のバレンタインデーは世界的に知られ、各国での過ごし方はさまざまです。その歴史はかなり古く、西暦269年2月14日に処刑された、司祭ウァレンティヌス(あるいはヴァレンタイン)を祭る日だったといわれています。
当時の皇帝クラウディウスは、軍の兵士らに家族ができると士気が弱まると考え、結婚を禁止していました。ところが、キリスト教の司祭であったウァレンティヌスが隠れて若者たちを結婚させていたため、それを知った皇帝がウァレンティヌスをローマ宗教に改宗させようとしたのです。しかし、ウァレンティヌスは従わなかったため処刑されてしまいました。
後世の人々は、ウァレンティヌスの勇気ある行動に感動し、恋人の守護神として祭るようになり、ウァレンティヌスが処刑された日をバレンタインデーと呼ぶようになりました。14世紀頃から恋愛に結びつけられるイベントが生まれたといわれています。現在もバレンタインデーは、恋人たちが愛を誓い合う日として祝われています。
ちなみにバレンタインデーにチョコレートを贈る文化は、日本特有のもの。海外でもバレンタインデーにチョコレートに限らず、カードや花束、お菓子などを恋人や家族、友達に贈ります。
私はバレンタインの始まりがこんなにも恐ろしいことから生まれたのだと知って驚きました。長い時間が経って、さまざまな形でバレンタインの文化が広まり、今では素敵なイベントになっています。想いを寄せる人や恋人に限らず、友達や日頃からお世話になっている人に感謝を伝えるチョコレートを贈ってみてはいかがでしょうか?
]]>花を咲かせるように笑うひと
田中佐知子さん(サントアン販売員)
取材・文章 西 尚美
田中さんが笑うと、つられて周りも笑ってしまう。転がるような笑い声で、空気が弾む。「笑い声がね、大きいんです。うちの母に似てるんですね。母もケラケラって」。生まれ育ったのは熊本。「熊本の天草に行く途中に半島があるんですね。その辺です。海もあり、山もあり」。“ど”がつく程の田舎、と笑う。地元は大好きで、スタッフの家族が熊本出身と聞けば嬉しくなってしまう。「三人兄弟の末っ子で、おじいちゃんおばあちゃんも一緒に暮らして可愛がられて育ったので、ニコニコする機会は多かったのかな」。
田中佐知子さんがサントアンに勤めて、15年ほど。
結婚を機に福岡で暮らし、旦那さんの転勤がきっかけで三田へ。「あぁ、ここを去るのねって出てきました。三田に来てみたら気さくな方、温かい方が多いですね。子どもたちも三田がいいって言うんで、いずれは九州に帰るかなって思ってたんですけど」、三田で暮らしていくことに。
ふたりのお子さんが小学生の頃、サントアンでギフト包装を担うパートスタッフ(ギフト隊)を募集していると聞き、働き始めた。「元々は販売じゃなくて、ギフト隊だったんです。器用ではないので、リボンとかも最初は難しくて苦労しました」。
田中さんの15年間。九州を離れ、子育てをしながら、2020年まであった三田阪急店では店長も勤めてきた。ケラケラっと明るく笑う背景に、一生懸命駆け抜けた姿が見えてくる。
「ギフト隊は2年…もしたのかな」。その頃人手が足りなくなった阪急店から、販売の仕事をしないかと声がかかった。勤務時間を延長したい思いもあり「私でよかったらと即答でした」。頼りにしてもらい、役に立てるなら嬉しい、そんな気持ちもあった。不意にはじまったものの販売員は天職。「お客様から、ありがとうと言っていただいたり。ずっとお話しされるおばあちゃんもよくいらっしゃって、お話を聞かせていただいていたらすごく喜んで帰ってくださったり。直にお客様と触れ合えたり。仕事に行くというのが楽しかった」。
ベテランスタッフが抜け阪急店で店長になると、いっぱいいっぱいになることも。ひとりで補わねばと連勤を続けた際、「ぽろっと主人にちょっと弱音を吐いちゃったら、主人がサントアンに電話しちゃって」。なんで電話しちゃうのと思った。けれど、当時単身赴任していた旦那さんの、田中さんを心配してとった行動。今この話題に触れると、温かい涙が込み上げる。当時の本店の店長が「ごめんね。」と話に来てくれ、人が足りない時は本店にも応援を頼むように。「あの頃は閉店時間まで働くと夜の8時まで。家に帰るのも8時半。買い物したら9時とか。子どもたちが中学とか高校のその辺を、主人がいないとね、子どもたちにも迷惑をきっと、って思うんですけど。いまふたりとも、元気に育ってくれてるなって」。
仕事の道のりを振り返ると、家族への思いも浮かび上がる。
そして辛かった時でも、仕事は好き。辞めたいとは思わなかった。
「本当に好きなんですよ。サントアンの人も、お菓子も、ケーキも。やっぱり子どももずっとここのケーキを食べてきているんで、サントアンのがいいって言いますしね。それもすごく、嬉しいですしね」。
三年前からは本店勤務。今、販売を担う仲間と助け合える環境がある。「いろんな役割があって上手に回っているので、私が欠けている部分は他の人がカバーしてくれているから、今の自分があると思います。ひとりじゃないんだって思える。たまにひとりで抱えちゃう時もあるんですけど、気づいてくれて優しい言葉をかけてくれたり。私が悩んでいたら助けてくれますし、私が手助けしてるかわからないですけど、何かあったら助け合ったり相談したり」。
見てくれている仲間がいる。そして田中さん自身も、ひとり抱え込むところがあるからこそ、ひとり困っている人がいないか、目が向かう優しさがある。
そんな田中さんが、日々の仕事で大切にしていること。「私、どうしてもお客さん第一というか。お客様が入って来られたら、他の仕事をしなきゃいけない時も、そんな時は他の人に指示をしてって言われるんですけど、指示する前に自分が行ってしまう。こっちからお客様の接客をしに行っちゃうくらい、気になっちゃいますね」。
阪急店の時から、今、本店にまで足を運んでくださるお客様も。これからの景色は。「お客様から好きになってもらうサントアンにしていきたいです。サントアンでしか買えない商品があると言ってくださるお客様もいらっしゃいますし、ケーキだけじゃなくギフトも、もっともっとお客様から使っていただけるサントアンにしていきたいです」。商品を好きでいてくださり、喜んでくださる。そんなお客様と、直に触れ合ってきたからこそ。
文章 塚口 紗希
※トークイベントの募集は締め切らせていただいてます
2016年だったか、17年だったか。Facebookのフィードに、パンと日用品の店/わざわざさんの投稿で、パンのアイテムを20種類から2種類に絞った経緯が書かれた記事が上がってきたんです。投稿は結構な文量だったと記憶しているんですが、内容に引き込まれて気がついたら「いいね」を押していました。それがきっかけでお店の存在を知り、わざわざっていうお店なんだ。ホームページあるんかな。とのぞきに行ったらば、出てくる出てくるたくさんの記事。代表の平田はる香さんがありありとつづる、まっすぐな商いの姿勢になんじゃこれ!と雷のような衝撃を受けたのを覚えています。
ちょうどその頃、私が長野県大町市美麻の山奥ポツンと一軒家でコーヒー店美麻珈琲(サントアン姉妹店)の運営を本格的に任されて3、4年が経ったころで、しっかりと壁にぶちあたりまくっていた時でした。山の上の車でしかいけない場所という同条件でお店をやっている人の生の声がSNSで発信されているというだけで、明日も挫けずお店を開けようと勇気をもらっていました。平田さんのご自宅が事務所になったり、赤ちゃんが生まれたり、スタッフさんが増えたり。勝手に同志のような気持ちで記事を楽しみにしていました。
平田さんの記事は、商品紹介も経営の悩みも全部が毎回、真剣勝負で書かれています。こんなに真っ直ぐでいいんだ。素直な思いを前面に出していいんだ。ってただただ感銘をうけて、私が自らを偽らずに働き始められるきっかけになった方です。暗闇を走るような、なんにも上手にできずに辛かった20代から、仕事と暮らしが楽しくなって、人に恵まれ、充実した30代へ移行できたのは平田さんのおかげだと思っています。
ここまで何度もわざわざさん、平田さん、と書いてきましたが、お話をしたわけでもなく、投稿を追いかけて、お買い物したことがあるだけのわざわざさんファンです。3年前に兵庫県三田市にあるサントアンを事業承継してからは、東御市の店舗へ伺う頻度は減りましたが、こんなにも素晴らしくて、お手本にしたい会社があることを一緒に働くメンバーやサントアンのお客様にもぜひ知ってもらいたい。サントアンに関わってくださる方なら、きっと何かを感じてもらえるはず。前方を走るわざわざさんの背中に、今後のサントアンのありたい姿を垣間見てもらえるはずだと思います。
サントアンの販促物などのデザインを引き受けてくださっていて、友人でもある佐田祥毅さんが、今回のトークイベントの登壇依頼を平田さんに申し込む、背中を押してくれました。ただのファンだし、お会いして対等に話せるほどの人間ではないし、きっと他の方が申し込んだ方がいいと思うし。と怖気づく私に、絶対申し込んだ方がいいよ!楽しそうじゃん!と、えらくしつこい説得がしばらく続き、このままずっと説得され続けるくらいならいっそ申し込もう。思い切って申し込みメールを送ることができて、イベント開催が決定しました。今となっては背中を押してもらって感謝してます。
ガレット・デ・ロワは、新年に食べる伝統的なフランス菓子です。表面の飾り切りの模様が美しく、家族や友人たちとの団らんに欠かせないお菓子です。
ガレット・デ・ロワを楽しむのは味だけではありません。フランス語で「そら豆」を意味する、フェーブ(Fève)と呼ばれる2~3cmほどの小さな陶器の人形がひとつだけお菓子の中に隠されています。切り分けられたケーキの中にフェーブが入っていた人は、その日の王様もしくは王女様となり、王冠をかぶってみんなから祝福されるという習わしがあります。もともと、中に入っていたのは陶器の人形ではなく本物のそら豆でした。そら豆が胎児の形をしていることから、古代より生命のシンボルとして人々から大切にされてきたのです。19世紀に入り工業化が進むにつれて陶器製のフェーブへと変化していきました。初期には宗教的なモチーフが用いられていましたが、現在では機関車や動物などのかわいらしいものも多くあります。
シンプルなお菓子ですが、職人のスキルと個性がハッキリ出るお菓子で、M.O.F.(フランス最優秀技術者)検定試験の課題にも指定されています。日本国内でもガレット・デ・ロワの魅力や文化を伝えることを目的に全国でコンテストが開催されています。
見た目が美しく、味もおいしく、フェーブが当たるわくわく感まで味わえる魅力的なスイーツです。集まる機会が多い1月、サントアンでもガレット・デ・ロワをご用意しています。団らんの真ん中にいかがでしょうか。
]]>松田淳一さん(サントアンOB 初代チーフパティシエ)
取材・文章 西 尚美
松田さんは、サントアンの創業メンバー。今から35年前、創業者の塚口肇さん、妻である裕子さん、そして松田さんの3人からサントアンは始まった。修行時代から共に働いてきた肇さんと松田さん。開業してからはパティシエ2人で作れる量以上のケーキを、毎日作った。次第に従業員も増え、お店も成長。作ることだけでなく、管理面の仕事も担いながら、「平成元年に店が始まって、平成30年。最後の年まで」。定年を迎えるまでの30年間、松田さんは屋台骨として働き続けた。
現役スタッフへのインタビューの際、松田さんのお名前が毎回のように挙がる。ある人の中では、レシピ作りに迷った時の相談役として。ある人の中では、職場を離れるべきか悩んだ時に、話を聞いてくれた人として。「サントアンの歴史ですもんね」こんな風に言った人も。調理場を離れてもなお、の存在感。サントアンの大切なひと。
松田淳一さんのお話。
そもそも、松田さんがケーキの道に入ったのは?「高校3年間、アルバイトをしていたんです。週4日、うどん屋さんへ。その頃から粉に触れていたんです」。
うどん屋の社長は様々な料理経験者。中華も和食も教えてくれた。でも松田さん、ちょっと違うことがしてみたい。たまたま歩いていた地下街でケーキ屋さんが目に留まった。「これがええな。あ、これしよ。ただそれだけです」。不埒でしょ、と笑う。
粉から生まれるものが、うどんからケーキに。うどん屋の社長が紹介してくれたケーキ店へ「じゃあ行きます」素直に飛び込んだ18歳。その店で先輩として働いていたのが、肇さんだった。
寮では互いに三畳一間の部屋で隣同士。「朝7時から働いて夜中の1、2時までが普通。だから12月になったら仕事終わりお風呂屋さん閉まってて、3週間くらい風呂入れないですよ。当時はね。でも、面白かった」。働く仲間、誰もが個性的。肇さんはケーキを釜に入れて手が空く焼き時間、よく本を読んでいた。誰も彼も、自分の学びを深め、お金を貯めては、自分で店をやろうと動く。活気があった。
肇さんがサントアンを開くこととなり、松田さんも10年勤めた店を辞め、オープン前は縁の深かかった甲陽園にあるツマガリさんへ修行に。「この3ヶ月で3年分教えるから頑張れって言われて」。ツマガリさんでは後にも働く機会があり、学んだことがある。お菓子の配合変更の指示がよく出た。「変えるっていうのは気持ちだけなんです。10kgの生地に20gコンスターチを増やす、とか。味はそんな変わらないです。でも変えようという気持ちが、お菓子に伝わる」。美味しくしてやろう、と気にかけ続ける。その気持ちはお菓子に伝わる。それがわかった。
さて、35年前。オープン当日、他店から沢山の応援も来てくれての開店間際。肇さんの姿がない。大きな責任と怖さが襲ってきて、車に閉じこもっていた。そんな場面があった。その時、松田さんはどう思ったんですか、と聞くと、松田さんは真っ直ぐ答えた。
「肇さんは、めちゃくちゃ繊細なところあるやん。ものすごい真面目。少年のような心がある。だからすごく、ピュアな状態だったんだと思う。」
困った、とは言わない。重圧を感じ堪えていた姿を、時を経ても笑い話に変えない。
「肇さんと紗希ちゃん(現社長)、共通するのは物事の基本的なところが純粋なところ。なんでそんなに純粋に考えられんのって、グレーな僕には少ししんどい時期もあった。でも、僕も年をとってきたらやっぱり純粋っていうのは何物にも勝るものなんやというのはわかりました。それは肇さんもあるし、紗希ちゃんも持ってる。だからオーガニックはどうだって言えるんですよね。自分から農業しようかって言える」。インタビューに同席していた社長のことは、お腹の中にいる頃から見てきた松田さん。自身のインタビューの合間にも、社長に伝えられるものを伝えようと姿勢をふと傾ける瞬間があった。澄んだものを、澄んだまま受け取る、それは松田さんの力。且つ、自分の手元にあるものを惜しみなく手渡そうとする在り方。他のスタッフから、どうして幾度となく「松田さん」と名前が挙がるのか。垣間見えた気がした。
開業から数年は、とにかく無心で仕事をした。朝から晩まで仕事のことだけ。週に1度の定休日もカスタードを炊きに来た。「今思ったら、幸せやったなと思う。自分が納得できるように好きなことを好きなだけやって」。それが、5年10年経ちお店も大きくなると、あちこちに問題も見え始める。40歳で外部研修を受けた際、「異業種の人から見たら自分達のやってきたことはなんだったんだと。パソコンもできない、FAXしかできない、メールもできない、そんな中にポツンとおったんですよね。お菓子を作るしかわからない。自分の至らなさをひしひしと考える」。
松田さんは自前でパソコンを購入。パソコン教室へ通った。手書きだった帳簿をパソコンで打ち込む。人件費の管理も始めた。今まで勘できたことを数字で見ると、製造に人が増やせるとわかり調理場の充実も測れた。反面、販売員に出勤を抑えてもらう必要が出て交渉するなど、辛い面も負った。
作り手から管理職も担っていった背景は「基本はやっぱりいいお菓子を作っていきたい。そのためには色んなこともせないかんってわかってくる」。働いている人達には楽しく仕事をしてほしい。「人が沢山いたらもっと作れるのにとか、こんなに労働しなくていいのにとかありますよね。もっと外に勉強しに出て行けたり。できたらそんなことをして内容の濃い会社にしたいから管理する人間が必要やし、僕がやるっていうのが1番いいだろうな」。
現場を取りまとめる立場になると、今度は問われ続ける毎日。現場で必要なものが出てくる。社長に伝える。それは何のためにいるのか、いくらかかるのか、どれだけ必要なのか。「肇さんはいろんなこと教えてくれるし、ずっと質問される。肇さんを説得させるのが僕の勉強やったんです」。調べ物も交渉も苦手だった。それでも、他のお菓子屋さんへ行って教えてもらったり、業者さんと値段交渉をしたり。「緊張してしまってすごく負担だったんですけど、だんだん慣れてくると楽しくなってくる」。
ご意見をもらったお客さんにも会いに行った。夜の9時でも10時でも。いいお菓子を作りたい。そのために、自分の枠を何度も越えて課題に取り組み続けた。
そんな松田さんから、現在働くスタッフへ。
「やっぱり僕はどっちかだったら、夢とか自分のやりたいことを持ってる方が楽しいと思う。乗り越えられるから。これがあれば結構いけるなっていうのがあったりするんですよね」。ぐっと拳を握る。松田さんが離さなかった、やりたいこと。「やりたいことはやった方がいい。そのために、デメリットは絶対ある。それを乗り越えないと人間的成長とか、幅は増えないですよね。まずやりたいことがあって、それをやってみたらこんなこともある、こんなこともあるって気づいたら、どうせなあかんか。それを解決した時はやっぱり自分の力になったり、人間の幅としては大きくなりますよ。それをやらなかったら、その時は楽だけど、どんどん仕事が楽しくなくなると私は思うんです。だから、何をどうせえってわけじゃないけど、やっぱりやりたいことはやってみた方が。遠慮しないでいいと思うし、遠慮を考えすぎてもあかん。やりたいことと会社の方向が合致していること、貢献できることを探す。気がつく。自分で勉強しにいく。見にいく」。
生地の配合に何度も触れ続けるように、松田さんの心は今も、何かを捏ねるようにして、大切なものに触れ続けている。そう見える。インタビューの日も、この素材は自社で作れるようにした方がいい、とさっと社長に伝えたり、コンテストに向け練習を重ねるスタッフに声をかけたり。現場を離れてもなお、サントアンのことを気にかけ、考えている。松田さんのこの気持ち。36年目からのお店にもきっと伝わっていく。
2023年10月3日(火)、サントアンのメンバー15名で徳島県にある洋菓子店「オゥ・ポワヴル」さんへ会社見学にいきました。オゥ・ポワヴルさんは、長年地元の方に愛されていて、旬の食材を使った四季折々のケーキや焼菓子が楽しめるお店です。看板商品のバウムクーヘンはしっとりとして、優しい味わいです。
お店に着くとスーシェフの鶴田和紀さんが迎えてくださり、売り場や厨房、バックヤードなど隅々まで案内いただきました。見学をする中で私が驚いたのは、3Sの徹底ぶりです。3Sとは「整理・整頓・清掃」のことで、仕事を円滑に行うために、欠かせないことなのですが、いざ徹底するとなると根気がいるものです。必要な場所に必要な物しか置かれておらず、どこを見ても清潔に管理され、すっきりとしていました。働くみなさんの意識が高いからこそできることで、私たちも見習わなければいけないと感じました。
見学をした後、オーナーシェフの森保介さんとサントアンメンバーとでお話しました。勉強になるお話ばかりでしたが、中でも印象的だったのが、森オーナーシェフのお菓子に対する思いです。生菓子は旬のフルーツを使い、生産者さんにスポットがあたるように取り組まれています。焼菓子は鮮度にこだわり、短い賞味期限が設定され常においしいお菓子が販売されています。森オーナーシェフは柔らかな雰囲気の方ですが、心の中にお店づくりに対する強い信念をお持ちだと感じました。
働く方全員が森オーナーシェフの思いに賛同し、それぞれの輝く場所がある素敵なお店です。貴重な経験をさせていただきありがとうございました。オゥ・ポワヴルのみなさん、また交流の機会を設けて勉強させてください。
オゥ・ポワヴル様のホームページ
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
https://www.au-poivre.jp/
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サントアンで買い物をしてくださったお客様にお配りしている広報誌「THE LETTER」
内容やページ数を充実させ、リニューアルしてから1年が過ぎようとしています。
「レタァー!!」広報誌のタイトルを何にしようか話し合っていた会議でのことです。
その場にいた広報チーム勢が同時に声を出し、こぼれる笑顔で互いに視線を交わしました。ぴったりと合う言葉が見つかったことが嬉しくて、つい声が出てしまったのです。おたより?新聞?通信?これは、サントアンで働く私たちからお客様へつづったお手紙だよね。そんな思いを込めてタイトルを「THE LETTER」に決めました。
インターネット・SNSが普及し、情報発信力が欠かせない時代になりました。同時に情報に溢れた社会の中で、情報の質が問われる時代にもなってきました。これまでのサントアンの発信力や情報の質では、伝えたいことと実際に伝わっていることに隔たりがあるように感じ始めていた頃、地域編集室 / 蓑⽥理⾹さんに出会い、サントアンへお招きして社内で「伝える勉強会」を開催しました 何を伝えるのか?を整理、構成し、情報を伝える編集の仕組みを学び、「“そもそも” なぜそれを伝えるのか?」に立ち戻り、サントアンらしい発信力を身につけていくきっかけになった勉強会です。その時に出し合ったアイデアが元となり、現在の広報誌が形作られています。
お客様に知ってもらいたいあれこれを自分たちの言葉で伝えられるように、販売や製造業務のかたわら、社内有志で広報チームを組み、インタビューをし、記事を書いています。不器用ながらも心を込めて書き上げて、一部の写真、デザイン構成や文章はプロに協力いただきながら発行しています。
私も広報チームの一員となって、お客様とスタッフへつづるお手紙として、このコラムをいろんなテーマで書かせてもらっています。イベントを通して感じた私たちの使命・お庭について・社内まかない制度への思いなどなど。月ごとにサントアンの取り組みとその姿勢をいろんな切り口からお伝えしてきました。どんな思いでお菓子を作り、お店を営んでいるか、お客様とスタッフとどんな関係を結んでいきたいか。この1年間はひたすらに、ありのままを偽りなく書いてきました。
正直に書きすぎてお客様が離れてしまうのではないか。と書いては消してを繰り返し、それでもやっぱり本心を覆ったままのうわべだけの文章では、心から信頼し合える関係は築けないだろう。と、意を決して書いてきました。
2023年5月号にて、サントアンが取り扱う自然食料品にまつわるコラムの中で「お菓子は大切な役割と文化を担っている素晴らしいものだが、特別な時に食べる嗜好品で日々の常食には適さない」と思い切って書いたことがあります。自分を含むお菓子を愛する人を否定していると伝わるのではないかと印刷に出した後も、お客様にお配りしている期間も、ずっと気が気ではありませんでした。
それをご覧になったお客様から1通のメールをいただきました。お叱りのメールかもしれないと恐る恐る読んでみると「深い感銘を覚えたのでメールを差し上げたくなりました。より良いお菓子とは?の章で、“しかし、云々から常食には適しません。”の文章は、洋菓子店であるサントアンとしては勇気の要る内容で、サントアンのお菓子に対する基本姿勢と良いお菓子を作っているという自信も感じられ、その勇気に心から拍手したいです」とありました。旧店舗から続くサントアンとの思い出や接遇にたいするお褒めの言葉、さらにはありがとうございました。とつづられていたのです。
思いがけずお返事をいただいたこと、温かな応援と共感の言葉に涙がこみあげました。目には見えてはいないけれど、そこに確かな信頼関係が生まれていることを感じました。コラムと真正面から向き合って、ありのままの気持ちを隠さなくて良かった。店舗、商品や接遇に込めた思いや願いが通じ合う、素晴らしい体験をしました。
はたして、サントアンの取り組みは、人を幸せにしているだろうか。ときどき、自分の行いを疑いたくなる時があります。けれど、この1通のメールに全てが救われるような思いになりました。1人しか通れなくていい、少しずつでいい、私たちの信じる道を進めるように「伝える」を諦めないでいようと思います。
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愛媛県出身 三田出身の奥様と1988年(サントアン創業年)にご結婚。しばらくして三田へ引っ越しされ現在も三田にお住まいです。
]]>愛媛県出身 三田出身の奥様と1988年(サントアン創業年)にご結婚。しばらくして三田へ引っ越しされ現在も三田にお住まいです。
-サントアンへお越しいただくようになったきっかけはございますか?
甘いものは苦手だったんだけど、友達に教えてもらったツマガリさんのお菓子は好きだったんです。奥さんからツマガリさんと関わりのあるお店が三田にあるよ、とのことでサントアンさんへ行くようになりました。
娘の誕生日が1月3日なので誕生日ケーキもよく買ってましたよ。その当時なかなか開いているお店がない中、サントアンさんは開いていたので重宝しました。
-三田阪急店へご来店いただいた時からたくさんのギフトを購入され海外へ持って行くんだとおっしゃっておりましたが、どのようなお仕事をされていたんですか?
海外の方向けの客船の機関士として働いていて120ヶ国ほど行きました。乗船してる間は機関士の仕事だけではなく、お客様の前に出ることもありましたね。食事したり、おしゃべりしたりで。客船で働いている人は外国の方が多く、サントアンさんのクッキーは美味しいと評判が良かったですね。お土産で持って行くのを楽しみにしてくれました。
お話を伺って [サントアン販売 | 田中佐知子]
サントアンのお菓子を中岡様の大切な場面でご利用いただいており、本当に嬉しく思いました。定年された今でも船に携わるお仕事やボランティア活動、多彩な趣味をお持ちで毎日忙しくしておられます。そんな中でも人との繋がりをとても大事にされているのが今回お話をお伺いして、強く印象に残りました。
]]>清水 友子さん(サントアン URAKATA)
取材・文章 西 尚美
清水友子さんはコーヒーの香りに惹かれてサントアンと出会った。長く事務職を続けていたが、韓国への語学留学をきっかけに道が変わった。辛い韓国料理。食後、無性にコーヒーが飲みたくなる。「コーヒーの香りを嗅ぐと安らぐ。何でこんなに気分がよくなるんだろう」。帰国後、事務職を再開する予定が、どうしてもコーヒーの香りのもとで働きたくなった。思い立ったら真っ直ぐな人。それから2年勤めたカフェではサイフォンでコーヒーも淹れられるように。充実していて「少し頑張ってみよう」そう思っていた矢先、父が実家を継ぐこととなり、三田へ。事務職へ戻るべきかよぎりつつも、コーヒーのあるところ、とサントアンを訪ねた。「雰囲気に一目惚れしてしまって」すぐに面接を受け、働き始めて14年。販売スタッフを12年務め、ここ2年は自ら申し出て、新しい業務に挑戦している。
思い込んだら前しか見えず、後先考えずに突っ込んでしまう。韓国留学も、コーヒーの香りからの就職も、そして、新しい業務の取り組みも。猪突猛進、「猪だから」と清水さんは言う。でも、清水さんを動かす感覚は、猪という激しさとどこか相反する。コーヒーの香りだったり、なんだかどうしてもそうなってしまって、という、説明しきれない、淡い感覚。
確かにそこにあるのに、あるといいきれないような、柔らかいものを感じとる人。そんな印象を持った。
販売からの転身。新しい業務”URAKATA“も、そんな感性ゆえに生まれて、それゆえに成り立つ仕事かもしれない。URAKATAとは「本当に何でも屋さんです」。以前まで、販売スタッフは接客の合間に多くの作業をしていた。ギフトの梱包、補充、発送業務、発注業務…。お客さんには綺麗なところだけを見て欲しい。でも、作業しようと持ってきた梱包材が、忙しくて手付かずのままカウンターに置きっぱなしになることも。「ここにあっただけ、風景汚していたなぁ」、濁る気持ち。ギフトが足りない、ゴミが落ちてる、花瓶に水が入っていない、目につくところは沢山。が、お客さんを差し置いては動けない。気が逸れたまま接客しては、それも伝わる気がした。何しろ、淡い感覚を蔑ろにしない人である。
そういう作業を任せられて、痒いところに手が届くロボットがいたら。ずっと感じていた思いは、じわじわと自分がそれをできたらという思いに変わった。誰でもできる仕事を社員が後ろに引いてするなんて、一蹴されるかも。「でも、絶対やりたい」申し出た思いを、社長も、店長の信川さんも受けとめた。清水さんが、自分の特性を理解した上で、サントアンでできること見つけ、申し出てくれた。活躍の場を自ら決める段階へ、勇気を持って飛び出してくれた。ふたりにはそう見えた。
「信川さんから、うらかたってどんなロゴ?って聞かれて、アルファベットで全部大文字ですって言ったら、〝HIKAKINみたいなやつ!おもろいね!"って」新しい制服は?何が必要?清水さんはバックヤードに作業台をひとつもらった。
「販売も好きだけじゃできない仕事だと思う。何の心配もなく、のびのびと接客したいだろうなって思うから、雑務は後ろに放り投げて私に任せてくれたら、あとはもう、自分でやりたいようにやってくれたらいいなって」。その時々必要なところに、さっと手を伸ばす仕事。力になりたいと思いながら、販売スタッフの仕事を奪ってはいないか、そんなジレンマもある。手応えはまだない。でも、仲間の協力を感じながら「とりあえず、ちょっとやらせて」。
今はその思いで。
小さな「気になる」を拾い上げる。淡いものも感じとる、清水さんのセンサーは、人に向けても働く。年下、年上、肩書きや経験に関係なく、本質を見逃さない。「多少、仕事が遅かろうが、言葉足らずだろうが、”あぁ、この人すごい人間性持ってる”って人がいる。そんな姿を見たら、わぁ、もうすごい眩しいもの見ちゃった。素晴らしいなって」。隠れてしまいがちなひたむきさも、清水さんには届く。仲間の眩しい部分を見てしまうと、目も心も奪われるという。
「清水さんは、愛のある人。人のことを一元的でなく全体で見てる。年上とか年下とか、仕事ができるできないではなく、誰に対してもある種の尊敬がある。その人の成長のためとか愛とかを根底に持っているから、褒められたり叱られたりも、清水さんに言われたら納得してしまう」社長はそう、清水さんについて語った。
「愛がある」、清水さん本人には意外に感じられたらしい。けれど、話題が幼い頃に触れた時、愛について不意に蘇ってきた記憶があった。「愛が溢れている人に、育ててもらったなぁって」。一生懸命働いて、自分と弟を育ててくれる両親の背中をずっと見てきた。どんなに忙しくても昼休みには仕事を抜けて、お乳をあげに来てくれた母。母の力になりたい。そんな気持ちが自然に芽生えて、母の姿を真似て、踏み台を使って台所に立ち洗い物をした記憶。そして、ずっと子守りをしてくれていた、近所に暮らす老夫婦の記憶。「小学校が終わったら、そのおじいちゃんとおばあちゃんのお家に帰るんですよ。おやつを食べさせてもらって、晩御飯を食べさせてもらって、父か母が迎えに来てくれて帰るっていうのを、毎日」。血の繋がりはない。でも、繋がりは濃かった。
次第に他の家庭からも子どもが集まり、いつも小さな子が周りにいるように。その子たちを連れ、遊びに行ったり、本を読んであげたり。面倒を見ているというよりも、一緒に過ごすことが楽しかった。「笑い上戸」とあだ名がつくくらい、よく笑う子ども時代だった。
子どもたちの輪の中で最年長だった清水さんに、おばあさんはよく「お買い物行くからついてくる?」と尋ねた。みんなのおやつや食材を買いにカートを押しておばあさんとふたり。帰り道には重たくなったカートを清水さんが引いて歩いた。おばあちゃんの力になりたい。そんな思いが働いて。「愛をもらっていましたね」。家族と、慕ってくれる小さな人たちと、血縁の垣根を越えた優しさと。
傍を楽にしたいと、自然と手を伸ばす人。試行錯誤しながら、今は2年目のURAKATAを。
]]>ひとり暮らしでは特に、食事づくりにまで手が回りづらく、たちまちコンビニおにぎりやカップラーメンなどで簡単に済ませがちです。毎日毎食は難しくても、できるかぎりでよいので手作りの健康的な食事を食べてもらいたいです。安価で手軽に手に入るインスタント食品やファストフードなどは、安全が不確かな原料が使われ、添加物で本物を装った食べ物が溢れかえっています。それらは食文化を粗末にし、心身の健康を損なう原因になります。
薬食同源、間違った食事をすると病を起こすもととなり、反対に体によい食材は健康を保つためには欠かせないものです。大きな病気などせずに日々を忙しく過ごしていると健康であることが当たり前になってしまい、その大切さを忘れてしまいます。
創業当時のメンバーが「私の母の作る料理は美味しいですよ。」とお母様を紹介いただいたのがきっかけでサントアンのまかない制度が始まり、以来30年以上続けています。まかない制度のきっかけになったお母様の山木さん、お友達の紹介で2年前から働いてくださっている谷村さん、二人体制でみんなの食事を用意します。
冷凍・レトルト食品はほとんど使わない野菜いっぱいのおかず、無農薬栽培の寝かせ玄米と味噌汁を基本とした和食が中心です。調味料はサントアン店舗西側に併設された自然食品店「ビオターブル」で販売しているもので、伝統的な製法で作られた本物の調味料を使っています。
健康に配慮された工夫いっぱいのおかず、旬をいただく季節感のあるメニューに心と身体が喜びます。お客様に食べ物を通じて喜びを提供する立場だからこそ、それを作り出すみんなには食事を楽しんでもらいたい。と、ハロウィンにはおばけのハンバーグ、バレンタインにはハートのピーマン、ひなまつりにはちらし寿司と食事の時間が楽しみになるようなひと手間がかけられています。
まかないで使うお味噌は年に一度、サントアンメンバーとその家族、パートナーが総出で仕込みます。ケーキ屋さんの繁忙期まっただ中の貴重な1日を使った、一大イベントです。無農薬栽培黒豆を鍋で茹でるところから総量120kgを仕込みました。バックヤードの倉庫でじっくりと発酵が進み、そろそろ食べ頃を迎えます。来年は麹から作ろうか。という話も持ち上がっていて、さらに大掛かりなイベントに発展しそうです。
「食べることは 生きること」
サントアンで働く皆さんに、心も体も健康で安全な人生を送ってもらいたい。といつも願っています。大切な家族や友達と過ごす時間も楽しい事がたくさんの充実した人生も、命と健康あってこそです。どうか食べることを疎かにしないでください。それは生きることそのものだから。
食べものに携わる私たちから始めましょう。作る人・食べる人・環境への影響が健全で持続可能な商品を提供することは私たちサントアンの目的であり良心です。まずはサントアンで働く皆さんから日々の食事に興味を持っていただき、心身ともに健やかな人生を送ってもらいたい。本当に価値のある「ほんまもん」に触れて、ほんまもんの仕事をしましょう!
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みなさんはマジパンをご存知でしょうか?マジパンとは粉末に挽いたアーモンドと砂糖、卵白などを混ぜてペースト状にかためた洋菓子です。ヨーロッパではそのまま食べられることも多く、焼き菓子の生地に混ぜ込んだりして日常的に親しまれています。日本ではマジパンをそのまま食べられることは少なく、主にケーキを飾る人形を作る際に使われています。
マジパンの発祥は10世紀頃、中東で冠婚葬祭の祝い菓子として作られていたのが始まりです。その後ヨーロッパに伝わり、北ドイツのリューベックが最もマジパンが親しまれている地域です。15世紀頃、街が飢饉に陥った際、倉庫に大量に残っていたアーモンドでマジパンを作り人々に配った、というエピソードが残っています。
マジパンは砂糖とアーモンドの分量によって、お菓子やパン作り用の「マジパンローマッセ」とケーキの飾りなどに使う細工用の「マジパン」に分けられます。細工用マジパンは粘土のように成形しやすく、作る人のイメージと手の感覚だけで様々な形を作ることができます。
細工マジパンで作った作品の技術や芸術性を競うコンクールが全国で催され、マジパン細工に取り組むパティシェ達が日々、切磋琢磨しています。私もコンクールに挑戦し、限られた時間の中で完成度の高い作品を制作できるように日々勉強しています。入賞を目指して作ることも大切ですが、一番は楽しんで見てもらえることを大事にしています。一目見てストーリーが伝わりワクワクできることがケーキの装飾に大切だと考えています。これからも技術や感性を磨いて、人の心に残る素敵な作品を作れるようマジパン細工を続けていきたいと思います。
サントアンレター7月号援農レポートで取り上げたYanYanFARMさん。神戸市二郎地区にあるいちご農家さんで、減農薬でいちごを栽培されています。今年5月、大雨の影響でYanYanFARMさんの生産ハウスのいちごが浸水してしまい、サントアンメンバーでいちご収穫をお手伝いする予定だったのを急遽、浸水して傷んだ苗を抜き取るお手伝いをしました。収穫直前のたくさん実がついた苗を抜く、とても心が痛む作業でした。
それから4ヶ月後の2023年9月26日(火)にサントアンメンバー4人とふたたび、いちごの苗を畑に定植する作業を手伝いにいきました。前回5月に、親株から子株へと繋ぐ苗作りの様子を見せていただいたり、作業の手伝いをする中でその大変さを目の当たりにしたことがきっかけで、また畑に来させてください。とお約束したのがきっかけです。
定植をする苗は昨年から大切に育てられたもので、植える向きや深さによって育ち方が変わるそうなので責任が重大です。1つ1つ丁寧に、心を込めて定植しました。無事においしいいちごが実ってくれることを願っています。
YanYanFARMさんはご家族だけでいちごづくりをされていて、今回のような大がかりな作業には、たくさんの人手が必要です。私たちの他にもYanYanFARMさんがSNSで募ったお手伝いの方もいて、農作業体験をしてみたい方がいっぱいいらっしゃり、互いに支え合う、とても良い活動だと感じました。
今回体験したことで、いちごがどうやって育っているのかを肌で感じることができました。苗作りや収穫、準備など年間を通すと数えきれないほど作業があります。今後もできる限りお手伝いさせていただいて、生産の苦労を知り、お菓子作りに活かしていきたいです。
YanYanFARMさん、貴重な体験をありがとうございます。また、お手伝いさせてください!
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仕事で38年ほど神戸から三田に通われており、息子さんに引き継いだ現在も三田に来られた時には立ち寄りいただいております。最近では健康の為に始めた山歩きがお好きだと言う素敵な方です。
Q.サントアンの印象、お好きなケーキを教えて下さい
前の店長さん、その前の店長さんもよく知っていてね、それを引き継いで頑張っている今の店長さんも、来た時にいてくれると安心するね。お店の雰囲気が落ち着いていて好きやね。
表にあったモッコウバラがなくなって残念やね。また茎がはってきてるから大きくなるのを楽しみにしてる。
ケーキはNYチーズケーキが好きやねん。ブルーベリージャムとチーズケーキのバランスがええね。今はシュークリームを手土産にしてるんよ。
Q.思い出に残るエピソードはありますか?
知人とサントアンの社長(創業者)の話になってね。サントアンに協賛を依頼したところ「協賛をせずに、そのお金を材料費にします」と断られたというエピソードを聞いて、お会いしたことはないけれど「あーこの人は信用できる人やな。その人が作ってるお菓子やったら間違いないな」と感心したんよ。
Q. これからのサントアンに一言
神戸にもたくさんケーキ屋さんがあるけどね、長く続けようと思ったらほんまに大変。商売をやってきた父親をずっと見てきたし、神戸のお店で忘れられない味もあるんやけど、今では店がなくなってその味が食べられないところもある。残念やなと思うわ。年取ってケーキよりもあんこの方を好むようになったけど、ずっとあり続けて欲しいね。
お話を伺って 信川浩子
たくさんたくさんお話くださって、ここには書ききれないほどの話を伺いました。
スイーツがお好きなことは存じていましたが、いろいろなお店の情報を教えていただきました。私もまだまだ勉強不足ですので参考にさせていただき、モッコウバラが咲き誇る、三田にずっと続く店づくりに励んでまいります。
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素敵な方です。旧店舗・三田阪急・現店舗とご来店いただいてます。
]]>18歳から三田にお住まい。元気いっぱい、ゴルフウェアがお似合いの
素敵な方です。旧店舗・三田阪急・現店舗とご来店いただいてます。
-フレーズ・ア・ラレーヌを毎回購入されますが、他にどんなケーキがお好きですか?
生チョコクリームのショートケーキがあれば絶対に買います。冬の季節にしか販売されないので、待ち遠しいです。もっと定期的に出して欲しいですね。
毎回バースデイケーキやクリスマスケーキも生チョコ系を予約してます。
他にも以前あった三田栗のモンブランやミルクレープも大好きで、今度栗のミルクレープとか出してくれたら嬉しいです。
-以前からケーキはお好きだったんですか?
高校生の時に友達のバイト先がケーキ屋さんだったので、たまに行って買うくらいでした。サントアンでケーキを買って食べるようになってからたくさん食べるようになったんです。ケーキ依存症かと自分でも思うくらいです(笑)
-サントアンでの思い出などはありますか?
ちょっと前になりますが、ポイントを貯めてシュトーレンをプレゼント!と言うイベントがあったんです。頑張って貯めて2本もGetしました。その時は2日に1回は来てたと思います(笑)
それにサントアンのいろんなスタッフの方とおしゃべりをしていて楽しいですね。
今回お話を伺って…田中佐知子
M.O様は以前からケーキの紙袋は不要と言っていただくことがとても印象深い方でした。来店されたときの楽しいおしゃべりでいつも私たちは笑顔を頂いております。今回のお話ではサントアンのケーキへの愛情が感じられ、とても嬉しく思いました。最近では7月のレモンソフトが1番のお気に入りで、何度も足を運んでいただきました。これからもM.O様の活力源(サントアンLove)となるようなケーキと居心地のよいお店となるように愛を注いでいきたいです。
]]>濃厚な栗の味わいを楽しめるモンブランはケーキの定番商品であり日本でも馴染み深い洋菓子です。今回はモンブランの名前の由来や意味について話したいと思います。
モンブランの名前と形は、フランスとイタリアの国境にそびえる山「モン・ブラン」が由来です。フランス語、イタリア語、どちらの国でも「白い山」を指す言葉で呼ばれ、アルプス山脈に連なる年中雪に覆われたその姿はまさに白い山です。
どちらの国にもモンブランの山を模倣して作られたお菓子が存在しており、美しい山の形を表現していますが、原型は栗の名産地であるイタリアのピエモンテ州の家庭菓子といわれています。
当初は栗のペーストに泡立てた生クリームを添えたデザートでした。これをもとにフランスのパリ1区リヴォリ通りにある老舗カフェ「アンジェリーナ」がメレンゲの上にクリームを搾り出した今の形に発展させ、モンブランを看板メニューとしました。
1933年に菓子職人の迫田千万億(さこたちまお)氏がシャモニー地方を旅した時のことです。彼はその栗を使用したお菓子と出会い、おいしさと美しさに感動しました。帰国後、東京の自由が丘の「モンブラン」という自身の店でモンブランを改良しました。土台をメレンゲからカステラへ、栗クリームはヨーロッパの茶色いクリームではなく日本人になじみ深い黄色の甘露煮を使用しました。
そして日本風にアレンジされたその黄色いモンブランが日本全国に広まりました。その後、日本人菓子職人がフランスへ修行に行くようになり、国内でも徐々にフランス発の茶色いモンブランが広まっていきました。現在ではどちらのモンブランも日本に定着しています。
私が洋菓子に興味を持ち始めた頃に、茶色いモンブランを食べるようになりましたが、幼少期の頃食べたモンブランは黄色いモンブランでした。学校行事や勉強を頑張ったご褒美は家族で食卓を囲み、黄色いモンブランを食べました。あの時のモンブランは日本で誕生したモンブランを身近に食べていたのだと知りました。
このコラムを通していろんなお菓子に詳しくなり、美味しいケーキ作りに繋げたいです。
サントアンで作っている定番モンブランは2種類
・グランド モンブラン
4-5名様で召し上がっていただく大きなモンブランケーキ。タルト生地とクリームの食べ応えのあるボリュームと、贅沢に和栗を使った最後まで飽きない上品な味。お誕生日、記念日に大切なみなさんと。
・モンブラン
どんな季節でもいろんな世代に人気の一品。味のバランス、製法、素材を折に触れて見直し、変わらないおいしさを守ります。
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シュトーレンはドイツの伝統菓子で、バターをたっぷり使った発酵生地に、洋酒に漬け込んだドライフルーツやナッツを練り込んだ贅沢な味わいが特徴のお菓子です。表面にたっぷりと粉糖がまぶされた真っ白な見た目は、おくるみに包まれたイエス・キリストをイメージしています。長細い形をしていることからシュトーレン=地下道・坑道という意味の名称になったと言われています。ドイツではクリスマスまでのアドベント(クリスマスの4週間前からキリスト降誕を待つ期間)に毎日スライスして、少しずつ食べられています。
その歴史は長く、その名が公文書に最初に登場したのが1329年。当初は小麦と水と酵母を練って作るだけの質素な焼菓子でした。宗教上の決まり事として動物性の食べ物は禁止されていましたが、15世紀に入りドイツ・ザクセン州の選帝候(ローマ帝国の君主に対する選挙権を有した諸侯)により、バターを使用する許可をローマ教皇に求め、許可を取り付けたことがきっかけとなり現在のようにバターが使われるようになりました。
サントアンのシュトーレンは材料を厳選して作っています。使用するドライフルーツは1晩洋酒で漬け込み、香りを引き立たせます。焼き上がった生地を溶かしたバターの中に何度もくぐらせて贅沢に使用することで長期保存が可能となり、粉糖でしっかりコーティングすることで香りを閉じ込めます。
焼き上げて包装したのち、長野県北アルプス山麓にある通年10℃前後を保つ風穴で、約半年間ゆっくり熟成させます。年間を通して低温を保つこの環境のおかげで、熟成が進み、ドライフルーツやスパイスの香りをより深くまろやかにしてくれます。
シュトーレンの食べ方は様々ですが、サントアンのシュトーレンをよりおいしく食べていただくには常温で保存し、薄くスライスして少しずつ食べてください。日が経つごとに、より味わい深くなります。端からではなく中央からスライスしてください。そうすることで切り口がぴったりと合い、空気に触れずに劣化を防ぐことができます。個人的なオススメは、チーズと赤ワインと共に楽しむことです。ぜひお試しください。
私は、長年シュトーレンの生産に携わってきました。当初はシュトーレンの存在自体を知りませんでしたが、年数を重ねるごとにシュトーレンの歴史的背景を知り、知識が深まって、よりおいしくするために向上心を持ってつくれるようになりました。
クリスマスまで残り4か月。おもいのこもったシュトーレンをお楽しみに。
]]>旧店舗では本格的な美味しいチョコレートが印象にあります。駐車場がなかったので子どもに買いに行かせて車で待つこともありました。子どもに親切な接客をしてもらったことが思い出に残ってます
]]>稲山久代様・・・・三田市対中町在住
子育てが終わったころからフラワーアレンジの勉強をされ、現在インストラクターとして活躍されています。以前はキッピーモールで講座をされており、阪急店に必ずお立ちよりいただいていました。今はお孫さんのお世話も楽しんでいらっしゃる素敵な女性です。
-サントアンとの思い出や、今後期待することなど自由にお聞かせ下さい。
旧店舗では本格的な美味しいチョコレートが印象にあります。駐車場がなかったので子どもに買いに行かせて車で待つこともありました。子どもに親切な接客をしてもらったことが思い出に残ってます。
35周年復刻版ケーキの広告を見たときは懐かしくて娘と盛り上がりました。マルジョレーヌやマッターホーンが復元されてうれしかったです。
最近では4月の限定ケーキ「焼きいちごのタルト」がお気に入りでした。スタッフの方が「地味ですけどパイがサクッ、いちごがトロッと本当においしいんです」とすすめてもらいCUTサイズを購入しました。本当においしくて丸い大きいサイズを予約して再度購入しました。そういったスタッフさんとの会話も楽しいひとときです。
現在は自宅でフラワー講座を開いています。講座後のTEATIMEでサントアンのケーキをいただくのが好評です。
やっぱりサントアンのケーキは飽きがこないです。長年かわらずここにあるというのが生活に地域に密着しているなと実感します。
今後はやっぱりお茶やコーヒーと一緒にホッとできるTEAROOMを楽しみたいです。デザートプレートなどがあるといいですね。
お話を伺って(信川)
お忙しい中ご家族でお時間をあわせていただき、楽しくお話を伺いました。
以前から変わらない上品なたたずまいで、娘さんやお孫さんと仲良くご来店くださいます。とても素敵なお花のアレンジをプレゼント頂いたことがあり、思いがけずとてもうれしい出来事でした。今後ともホッと一息ついていただける時間を、お菓子と接客で提供させていただきます。
]]>サントアンは三田市の洋菓子店の他に、長野県大町市に美麻珈琲というコーヒー専門店も営んでいます。遠く離れた店舗について詳しく触れる機会があまりなかったので、今年15周年の機会にご紹介できればと思い、前月号(※1)から美麻珈琲について書いています。
ゴールデンウィークやお盆などのお客様が多い大型連休は、サントアンからスタッフ数名が美麻珈琲の手伝いに出かけます。この夏のお盆期間も三田から新入社員2人を車に乗せて手伝いに行きました。
車で移動する往復14時間は思いの外、大切なコミュニケーションの時間になります。
何を考えながら働いているのか、将来はどんな人になりたいのか、サントアンでチャレンジしたいことは何か、得意な仕事の話、一緒に働くスタッフの話など、日頃ゆっくりと話せない、いろんな内容を聞かせてもらいます。しばしの沈黙の気まずさや遠慮がありつつも、互いをよく知ろうとする貴重な時間の中に知らない一面を見たり、会話の中から新しいアイデアが生まれたりして、スタッフひとりひとりに光が当たります。
美麻珈琲に寝泊まりしながら、初めて会う現地スタッフと初めての仕事をします。いつもは別々に暮らす面々も、この期間は起床から寝るまでの時間を共にして、仕事以外の暮らし、人間関係、長野の自然を体感します。
忙しくても、食事は必ず一緒に作って食べて、手作りの健全な食事が健康的な体を作ってくれることを切々と伝えます。健康な体には健康な心が宿り、よい暮らしがよい仕事を生み出すことを肌で感じてもらうのです。
暮らしと仕事がつながっている体験をすること。お客様とスタッフが対等で心通う人間関係に触れること。自然と人の関わりを謙虚に学ぶこと。どれもこれからのサントアンが大切にしたい考えですが、日々の業務からは伝わりづらい価値観です。繁忙期の手伝いという名を借りて場所や時間を変えると、見え方や感じ方が変わり、その価値を共有できると思います。価値を共有した心強い同志が増えれば、もっとおもしろい世の中を作り出せるんじゃないかと考えています。
私は、2020年サントアンに戻ってくるまでの13年間、美麻珈琲に住みながら店を切り盛りし、暮らしと仕事がつながった毎日を過ごしました。
薪を焚べて部屋を暖め、草を刈って、雪をかいてお客様を迎え、お客様がいつのまにか友達になって、同じテーブルでコーヒーを楽しみます。身近な自然と人間のリズムが調和しながら季節が巡り、畑を耕し野菜を育て、山菜を探して野山に入り、手作りの豊かな食事が健康な体を支えます。そんな日々の中で自分の満足がいくまで仕事に打ち込みました。そうした自然に沿った暮らしが、今の私の価値観を支える土台となっています。
即時的な経済合理性を優先しすぎたために、支え合うものが切り分けられて、バラバラになりすぎてしまったと感じています。暮らしと仕事、お客様と働く人、自然と人、労働と喜び、本来それらは繋がりあっています。
私たち人間が豊かさや幸せを感じる源は、そんなに合理的でも分業的でもないと思うのです。美麻珈琲で過ごした13年間が、もっと人間らしく、非合理で境目があいまいな営みが取り戻されても良いのではないかと語り掛けます。
おおらかで人間味のある人が創りだすコーヒーとケーキが、この不安だらけの社会をちょっとだけ生きやすくしてくれるのではないかと夢見ています。
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朱山久未子さんは、販売スタッフを経て、現在は製造補助の仕事をしている。旦那さんは先月のletterでお話を伺った朱山貴也さんで、同じくサントアンでパティシエとして働く。ふたりは1年半後を目処に独立し、自分たちのお店を作る予定。名古屋のご実家近くのケーキ店で、修行時代の貴也さんと出会った久未子さん。偶然の出会いから生まれ育った場所を離れて暮らし、今、また大きな変化を前にしている、そんな現在地に立つ久未子さんからお話を伺った。
生まれ育ったのは?「名古屋駅から地下鉄の東山線で行くところなんですけど…栄を経由していて、ケーキ屋がぎゅっと詰まったところで」。ケーキ屋激戦区で育った?「はい!でも私自身はケーキ屋さんを知らないからお薦めを聞かれても全然わからなくて」久未子さんにとってのケーキはいつも、母のお手製。
「誕生日ケーキ何がいい?絵、描いてね〜って言われて、絵を描いて。8月生まれなので、苺ないから苺以外ね、って言われて、じゃあ缶詰のみかん、とか。ゼリーっぽくしたいなぁとか。他のケーキを知らないから本当にシンプルなんですけど、絵を描いたらそれを作ってくれて」
誕生日やクリスマスのデコレーションケーキから焼き菓子まで、なんでも母が作ってくれた。久未子さんたち姉妹も一緒に台所に立った。手を動かすことが好きなのは、母だけでなく祖母も。「おばあちゃんも服を作るのが好きで、アルバムを見返すと妹とわたし、手作りのお揃いのワンピースをずっと着てて」その血は久未子さんにもしっかり流れている。「布が捨てられないのは多分母親譲り」捨てられない小さな布が集まるとパッチワークに。着ている服も着古したら何か作ろう、と布として見てしまう。「ミシンを動かしていると無心になれる。今も、娘の服とか小物や鞄を作っています」。祖母や母から与えられた手仕事の喜びは、久未子さんからまた、娘さんへと。
自作の服を着るのが好きになった久未子さんは高校卒業後、服飾専門学校へ進んだ。アパレル販売員になるも、入院が必要なほど腰を痛め退職。その後は派遣会社に登録し、腰の様子を見ながら、いくつもの短期アルバイトを経験した。
そんな中、クリスマスからバレンタインにかけてスイーツ販売員の募集がかかる。家から歩いて5分。「近いから行きます!」と向かった派遣先は、貴也さんが修行するケーキ店だった。従業員同士仲が良く、休日も遊びの輪に入れてもらい、気づけばお店の人達とずっと一緒にいた。派遣契約の終了後、改めてスタッフとしてお店に入った。
貴也さんとは、趣味や好きな曲、共通点も多く親しくなった。「ふたりでいると楽しいな、一緒にいて楽だなぁって。いつかは自分で店をって彼はその時からずっと言っていました。芯がちゃんとあって、私がわーってなった時も話を聞いてくれて、こういうことが言いたいんじゃないの?って、逸れた私を戻してくれる。しっかりしていて、一緒にいて心強いなって思ってます」。出会って今日まで。貴也さんもまた、今の自分がいるのは久未子さんのおかげだと話していた。
地元である宝塚に戻りサントアンで働き始めた貴也さん。久未子さんも名古屋から移り、結婚生活が始まった。サントアンで販売の仕事に就き、4年前にお子さんを出産、親子3人で暮らす。
夫婦で職場を共にしてきたからこそ、生産者さんの背景や安心できる素材についての知識も学び、新しいお店でも大切にしていきたいことを共有している。そしてまた、自分たちのお店だからこそできること、やりたいことについて、ふたりの間で具体的な会話も深まり、休日に洋菓子屋さんを訪ねては、ディスプレイを観察したり、写真に撮るのも焼き菓子だけではなく、プライス立てまで。参考にする部分もより細かなところに。
一方で、独立を間近に生じてきた不安もある。「お店も大事だけど、娘も大事。生活も大事。ちゃんとできるかなって」熱を出した時、学校がお休みの時、駆けつけたい、そばにいてあげたい。そうできるだろうか。「娘との関係をどう維持できるかな、寂しい思いをさせたくないって。現実になればなるほど、日が近づいてくればくるほど、どうしよう、大丈夫かなって」
そんな久未子さんに今、響いてくる言葉がある。
「前の職場に勤めていた時、旦那さんが飲食の仕事をしているパートさんがいて、“いつか一緒にお店をやるんだ。好きな人とずっと一緒にいて、お店をやるって幸せじゃない?すごい楽しいことだと思うんだよね。だから私は今、一生懸命お金を貯めて修行しているんだ”と言っていて。当時のその人は今の私と同じくらいの歳。“大好きな人と一緒にお店をやる!絶対楽しいよ!幸せなんだよ!”って断言してる姿が10年以上経っても、今、すごく覚えてて」。不安はある。課題もある。でも、なんとか形にしたい。当時の彼女が今の自分と重なり、励みをくれる。久未子さんも、今、同じことを誰かに言えますか?と問う。
「自分の中で秘めていました。でも言える自分がくるといいです。一緒に仕事して、一緒の環境で、同じ方向を見られるっていうのは楽しいと思う。自営業ならではの問題はあると思うんですけど、頑張っていきたい」
ただ、パートナーの夢に伴走しているのではない。不安な時に道標となる言葉と、10年以上も前に出会い、今も大切にしている。久未子さんもまた、自分自身の縁に乗って、貴也さんと出会い、娘さんを育てながら、ここにいる。生きることが重なるというのは、きっと、こういうこと。「楽しいよ、幸せだよ」晴れやかに言える久未子さんが、そう遠くなく、くるように。
]]>文章:髙次萌
キレイな黄金色とアーモンドとバターの香ばしい香りが特徴のフィナンシェ。たくさんのバターを使ったリッチな味わいで、小さいけれど食べ応えのある焼き菓子です。今回はフィナンシェの由来や歴史についてご紹介します。
フィナンシェはフランス語で金融家や金持ちという意味があります。お菓子の形や色が金塊に似て、パリの金融街で人気となり広まったからといわれています。
17世紀フランス北東部ローレンヌ地方にある聖母訪問会の修道女によってフィナンシェの原型となるヴィジタンディーヌというお菓子が作られていました。その後、フィナンシェというお菓子が登場したのは19世紀。フランス・ パリの金融街「サン・ドゥニ通り」の菓子職人が、ヴィジタンディーヌに改良を加え、金に見立てたフィナンシェというお菓子を考案したのが始まりです。
縁起の良い金塊・金の延べ棒をイメージした美しい焼き色と形、表面がかっちりとしていて持ち運びやすく、背広を汚さず手軽に食べられることから、毎日忙しく働く金融家達の間で人気となり、現代へと定着していきました。
技術と歴史によって支えられたフィナンシェを、サントアンでも職人が一つ一つ丁寧に焼き上げています。シンプルな味わいは、コーヒーや紅茶との相性が良く、ティータイムにおすすめのお菓子です。
こうしてフィナンシェの歴史を振り返り、19世紀から誕生したフィナンシェが現在も食べ続けられていることに深く興味を持ちました。ヴィジタンディーヌからフィナンシェへと進化し、現在ではチョコレートや抹茶、ピスタチオといった流行りの食材を利用してさまざまな味が作られています。人々のニーズに合わせたフィナンシェが作られ、これからもずっと愛され続けると私も嬉しいです。
]]>朱山さんが目の前に座ると、空気が鎮まり、すっと澄んだ感じがした。
「こうしてほしい、ああしてほしいっていう思いよりも、あ、この子はこうしたいんだな、こういうことをやってみたくてこうしているんだなとか、今、何を考えてるんだろうっていうのを損得なしに考えられる存在は自分にとって子供だなと思っていて、それが愛だと思っているんですけど」
お話を伺う中で、朱山さんが愛について明言された場面が印象に残った。愛とは何か、自分の言葉を持つ人は多くないと思う。内省の深い方。お話はこう続く。「それがなんで大人相手に、例えば自分の家族じゃない相手に向けては難しいんだろうって考えるきっかけになって」。我が子の誕生から、他者との関わり方も変化していったという。
朱山貴也さんがサントアンのパティシエとなり丸8年。
子どもの頃、母親が日常的にケーキを作ってくれた。自然と一緒に作るようになり、気づけば将来の夢はケーキ屋さん。ずっと製菓の道しか頭になかった。大阪の製菓学校卒業後、メディアでの露出も多い有名シェフが名古屋に出した新店に就職した。ただでさえ体力勝負のパティシエの仕事。流行の先端を求められる店での修行時代は相当過酷だっただろう。気づけば心身が疲弊していた。
「入院して、退院する時に会社も辞めて、実家に戻ってきました」。宝塚の実家に戻り、別のケーキ屋で働こうとしたものの、現場に立つと辛かった記憶が蘇り続けることができなかった。「もう自分はお菓子屋さんで働けないかもしれない。今までこの道しかないと思ってやってきたから、何ができるだろう」
作ることしかできない、と近所でアルバイト募集をしていたパン屋さんへ。迷惑をかけてはいけないと思い、当時の自分の状況を全部話すと、パン屋のシェフは全部受け入れてくれた。「じゃあ最初、配達だけやろうか」そう言って、1日1時間の配達の仕事をくれた。シェフとの出会いは大きく、朱山さんにとって再生の機会となった。
目指してきた道で挫折し、以前の職場の人達に感じる憤りや、できなかった自分を責める思いをすぐに拭うことはできなかった。けれど、パン屋のシェフはそのままの朱山さんを受け入れ、ひとつ出来たら次へ、と働く時間を伸ばし、無理のない働き方を考え続けてくれた。
「シェフが常に言っていたのは、僕は常に爽やかでありたいって。業者さんに対する対応でも横柄な態度をとるのじゃなく、爽やかに。そう常に言ってらっしゃるのを聞いて、自分もなんとなくこう、爽やかでいようって。思い返してみると、一緒に働く仲間に対して自分も横柄な態度を取っていたな、親切ではなかったなって」
苦しんだ過去を振り返り、自分を受け入れていくきっかけをもらった。
1年ほど働き「将来やっぱりケーキ屋さんに戻りたい」そうシェフに伝えたところ「じゃあ就職先を探してあげようかな」と言って紹介してくれたのがサントアンだった。「シェフが紹介してくださるところだったら大丈夫」。サントアンで再び、パティシエの道に戻った。
「サントアンに入ってきた頃、古いルセット(レシピ)を見た方がいいとよく言われて、その時は何とも思わなかったんですけど、やっぱりずっと残ってるお菓子とか、古くからあるものって基本配合が必ずあって、そのものづくりがあって初めて発展ができる。もの作りにおいて、あくまで基本からの派生でしかなくて、それをどう組み合わせるかで新しいっぽいお菓子ができてるっていう風に思えてきて、そうなったらやっぱり、よりシンプルなもの、古いものの勉強をと」働きながら、自分自身が目指すもの、表現したいものを見出していった。
「料理家の土井善晴さんが好きで、あの方は、なんでもいい、料理は自由度がある、思いのままにって言うんですけど、でも時々、自由だからってなんでもいいわけじゃないって言う。やっぱり料理も基礎がある。基本的な割合があって、そこを踏まえてるから料理は自由なんだって。お菓子作りも一緒じゃないかと」
「就職したら一緒に暮らそう」そう話していた名古屋時代から支えてくれた恋人と、サントアンへの就職をきっかけに結婚。冒頭で語られていたお子さんも授かり、4歳になる。今、朱山さんは独立を見据えて動き出している。
「時間の流れが、今、とても速くて。私の思う生活の豊かさとは、時間に追われない、時代の流れに追われないようなこと。古いレシピにも繋がるんですけど、古いものってそれ以上古くなりようがない。それでずっと残ってるものって、みんなに受け入れられていて生活の一部になってる。そういうものづくりの中で暮らしていきたい。時代を追いかけるところとは違う生活をしてみたいなと思って。そこが私の思う豊かさ、生活の豊かさだなって思っているので、そこを体現してみたい」
インタビューを終えて帰る前、朱山さんが厨房から出てきてケーキを持たせてくれた。
帰宅して開いてみると、それはガトーブルトン。フランス北西部の伝統菓子だった。サクッとした歯触りが美味しくて、中からじわっとバターの旨味。洋酒の香りがふわりとぬけていく。伝統的なお菓子でありながら、美味しさには新しさも古さもない。そしてシンプルなレシピだからこそ、素材の質や作り手の技術が美味しさの決め手となる。なぜこの生産者さんの素材を使うのか、どこまでの焼き加減で、どう作るのか。「もの作りをする上で自分が大事に思ってることっていうのを、やっぱりその、表現したい」そう語られていた朱山さん。作ったそのケーキに、自分がいると伝えてくれた気がした。とびきり美味しかった。
]]>2023年6月27日(火)にサントアンスタッフ4名と、サントアン創業者の塚口裕子が管理する田んぼへ行き、有機栽培米の田植え体験をしました。三田市本庄地区にある、広さ一反ほどの田んぼです。私は、ほとんど田んぼに入った経験がなく、自然に触れ合う機会もほとんどないので、この体験にとてもワクワクしていました。
実際の作業は、手押しの田植え機で田んぼの大部分を植え、機械では届かない周りを手植えしました。私は初心者なので機械の使い方は分かりません。そこで裕子さんの甥っ子で、農機具を扱う仕事をされている塚口鷹信さんに使い方を教わりました。始めは機械に振り回されていましたが、数をこなすごとに綺麗にまっすぐ植えることができ、鷹信さんにも褒めていただけました。つい嬉しくなり、妻に写真を送って自慢しましたが、熱中症の心配をされ、嬉しいような悲しいような。その後の手植えでは低姿勢をキープして移動するため、負担がかかり足が攣りそうになり体力的にも大変でした。しかし自分の手で植えていくことで、より苗に愛着が湧き収穫がとても楽しみになりました。
今回はうるち米「初霜」ともち米「岐阜羽二重」の2種類を植えました。うまく成長すればおよそ400kgほど収穫でき、年間使用量には及びませんがサントアンのまかないやお菓子の材料として活用できそうです。
苦労がある分、喜びが倍になって返ってくる。まだ収穫したわけではありませんが、とても達成感のある田植え体験でした。今後もお米に限らずさまざまな食材の生産現場に行きたいです。その場でしか味わうことのできない経験や食材に対する知識を身につけ、生産者さんの想いを届けられるようお菓子作りに励んでいきます。
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今年5月、美麻珈琲は15周年を迎えました。
]]>美麻珈琲15周年によせて 塚口紗希
(美麻珈琲とは)
サントアンは菓子店の他に、三田市から遠く離れた長野県大町市でコーヒー店も営んでいます。店舗が所在する大町市美麻エリアの地名を借りた「美麻珈琲(みあさこーひー)」は、15坪の小さな店舗でコーヒー焙煎、カフェ営業、オンラインストア営業や業務用コーヒー販売などを行っています。サントアンのお菓子に使用するコーヒー、TEAROOMで提供するコーヒーは美麻珈琲で焙煎したものです。
今年5月、美麻珈琲は15周年を迎えました。この節目に感謝して15周年イベントを開催し、たくさんのお客様にご来店いただきました。誰にも告知せずひっそりとオープンした15年前、初日のお客様はたったの2人。今は地元の方から観光の方までさまざまなお客様が年間?人が訪れるようになりました。
(どうして大町市美麻なのか)
創業者の塚口肇は青年期から山登りが好きで、いつかアルプスの麓で暮らそうと思い描いていたそうです。
自らのアイデンティティである田舎育ちの原体験から、農村の自然と共に暮らす生活を自身の子ども達にも経験してほしいと考え、私を含む兄弟3人を大町市美麻地区に1人2年間ずつの山村留学に送り出しました。山村留学では、寄宿舎と地元農家でのホームステイを行き来しながら、全校生徒100名ほどの村の小さな小中学校に通学します。地域の中で大切に育ててもらい、留学を終えたあとも関係が継続し、そのご縁がコーヒー店開業へ導いてくれました。
「welcome village」-おかえりなさい。そして力を貸してください-
菓子職人修業から独立をへて振り返った時、自然と共に暮らしながら働く生活をいつか送りたいと考えたのでしょう。時間から時間へと働き、自然環境に負荷をかけた、脆弱な人間関係の暮らしに真の豊かさを感じているだろうか。
「Welcome village」おかえりなさい。そして力を貸してください。と迎え入れることができる場所や生活を自ら体現し、お客様や周囲の方々に感じていただける店舗を目指してきたように思います。
3つの原点回帰(=ひとまわりしてもとの場所へ還ること)自然・生命への回帰、文化・歴史の回帰、広く浅い人間関係から心を伴った仲間の精神的な関わり。これらを軸にして、美麻珈琲の計画が進んでいきました。
2000年当時にサスティナビリティ(持続可能性)や、LOHAS(心身の健康、持続可能な社会や地球環境を考慮し、心豊かに暮らす生活スタイル)をコンセプトとし、2007年に店舗兼住居を建設しました。店舗建物の内外壁には圧縮した稲藁を使ったストローベイルハウス工法を用いています。建築で使用する石や木はその地域にあるものを使い、建物がその役目を終えた後は極力ゴミを出さずに自然に還ることができるよう、建材や家具には自然素材を選びました。
建物は自分たちで林を切り開くところから行ったセルフビルドです。森永製菓のチョコレート部門の取引先さんによる木の伐採から始まり、建築のプロではない友人知人のべ300名が、1年間の工事期間中に手伝いに訪れた手作りの建物です。
兵庫県三田市から車で7時間と遠方ですが、ぜひ旅行のついでにお立ち寄りくださいませ。サントアンの一角でも、コーヒー豆、リキッドアイスコーヒー、ドリップパック、コーヒーゼリーなど美麻珈琲の商品を取り扱っております。ぜひお手にとっていただけましたら幸いです。
つづく。
]]>「どうだったのですか?」という問いかけにも、「ね」と言いながら一緒に笑ったり。
ね、の中には「本当にね」「何ででしょうね」というような含みが感じられて、問いを受け取ると同時に、問いを向けたこちら側にも寄り添うような温かさがあった。 信川浩子さんはサントアンで店長を務める。
高校卒業後、声を使う仕事への憧れから劇団の研究生に。そこで初めて踏んだ舞台が楽しくて、演劇にのめり込んでいった。演劇活動をしながらサントアンで販売のアルバイトを始めたのは「ケーキが好きだったから」。
それから結婚、出産と転機を迎えながらも勤め続け、34年が経つ。 「基本は人見知りで、でも接客する以上そうも言ってられないし、今はすごく好きなんです。人と接することがすごい楽しいって教えてもらったのもこのサントアンで、それが私の今の軸、じゃないですかね」続ける中で変わっていくこと、育っていくものがあった。
高校卒業後に入った劇団には、現在も籍を置く。
「今は年に1回くらい、地方の会館に呼ばれて公演したり。コロナ前ですけど、小学校上がる前の息子も出たことがあります。クリスマスキャロルというお芝居」 接客も、演劇も、人に触れ、関わり、展開していくこと。
「はじめたらずっと続けるんですね」の声に信川さんは「ね!」と明るい声をあげた。 「10年20年と働いて結婚を機に辞めるかなって、でも辞めなくて。
今度、出産はさすがにもうって思っていたら『帰ってくるよね』って言われて『帰ってきます』ってまた帰ってくる。お休みをいただいて戻ってきた時、『居場所がある』そうすごい感じました。ありがたいなぁって」 自分の人生の変化に合わせ、社員、パート、勤務体系も変えてもらいながら続けてきた。そしてある時、サントアンで店長になるという転機が巡ってくる。 「前の店長が退職されることになって私の勤続も長く、あなたしかいないですよね、そうですよね、みたいな感じで。
でも私、何でもできた前の店長さんみたいにはできません、って言って、いいねんいいねん信川さんらしくやったらできるから大丈夫って言ってくださったんです。何とかやってるのは、周りのみんながすごく支えてくれる、押し上げてくれる、それでできてるかなぁって」 最初の1年は店長の仕事をとりあえずやらないとと過ぎた。前の店長と同じようにはできない。でも「信川さんらしく」そう言ってもらった。 自分だからできることは何だろう。ここで働いている人たちがその人らしく生き生き働けるような、お店づくり、人づくりができたら…そんな思いが今、信川さんに宿っている。 「いろんな人がいて、いろんな働き方があって、いろんな仕事があってっていうのがサントアンだなぁって。
その人がその人らしく仕事もできて、年をとっても居場所があるような」年をとったら、お菓子の箱折りとか。そう言って信川さんは笑った。きっとその人だからできる、何かがある。
「その人がその人らしく」そう思いが深まったのは、信川さんにとって母となり子どもを育てる経験も大きかった。 「そうならないものなんですけど、自分の思い通りにならないっていうのがまずあって」子どもとの関わりに悩んだことで足を運んだ子育ての講座で「最初に『子どもでも別の人間だから、違うからわかりあえないこともある』と聞いて、あ、そうなんだって」力が抜けた。
人は思い通りにはいかない。自分とは違う人間だから。 相手には相手の理由があり、それぞれのペースがある。
「今も子どもに宿題してへんで〜!って怒ることはあるんですけど『何時からすんの?』『まだ〜』『そうか、まだか〜』って受け答えができるようになって」押し付けるのではなく、対話の中で相手が進む道筋をサポートする。
自身の子どもへの関わり方は、お店で働く仲間への関わり方にも繋がり、また「話を聞くことで働きやすくなったり、働く人本人がどうしたいか、自分の中で決めてもらう。そんな手助けができれば」対話から相手をサポートしていく、より専門的な勉強も始めた。
お話を伺った日はちょうどお店の植栽の剪定をしていて、影になっていた枝が落ちたのか、インタビューの終盤、窓から不意に光がわぁっと射しこんできた。 「自分が頼りないから、周りがしっかりしてくれる」そう語りながらも、お店のため、周りの人のために必要なことを自ら学ぶ、信川さんがいる。
明るい窓辺で信川さんは言う。「学ぶことは楽しいんです。息子や、お店のスタッフにも、そういう姿を見せておきたいなっていうのもあるんですけど」頑張っている自分を、時々は自分でも褒めながら。
信川さんが息子さんと立った舞台、クリスマスキャロルもまた、普段は見えなかった他者の気持ちや背景を知ることで、孤立していた生き方から、思いやり、分かち合う生き方へと導かれていくお話だ。
自分と違っていてもいい。その人なりの感じ方に身を寄せること。誰でも、どんな生き方でも、生き生きと働ける。そう環境をととのえていくこと。 「そこはまぁ時間がかかるかなって思っているけど」 まだまだ、幕は上がっている。必要な時間をかけて。
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